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2022年浜名湖周辺の旅

2022年12月 7日 (水)

浜松へ 2日目 気賀関所 龍潭寺

10月25日(金)

朝、日の出は6時半ごろです。6時過ぎに起きました。
やはり膝は痛いです。膝頭というより外側脇です。骨ではなく筋?帰ったら整形外科かしら?又リハビリに通わされるのはウンザリ

6:19 空が明るくなってきました。右端の観覧車のある場所は多分、舘山寺。

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6:35

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6:42 完全に太陽が顔を出しました。
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朝食は7:00からです。
混むといやなので 7:00ジャストに行きました。

勿論ビュッフェです。浅利が美味しかったので帰りに買うことにしましょう。

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7時半過ぎお部屋に戻って一休み。足が痛いのが不安だった、ということもあるのでしょうか、8時半過ぎ、突如動機が早くなりました。いやな予感、どんどん激しくなります。不整脈の発作です。息苦しくて気分が悪くて、耐えられそうにありません。とうとう主人に調子が悪いと告げました。
こういう発作、この前は9月でした。短ければ1時間、長いと3時間。我慢すれば通り過ぎてくれます。これで死ぬことはない、旅行OKとは言われています。頓服もいただいていてバッグに入っています。それをとりだして思案。副作用に頭痛、関節の痛み等々書いてあるので、飲むのはやめて時の経つのを待つことにしました。

9:33浜名湖佐久米発の電車に乗る予定で9:20発のホテル送迎車を頼んであります。気賀駅から長楽寺はタクシーで6分。 気賀関所を見学するつもりで10:15関所前にタクシーを手配済みです。
長楽寺門前にタクシー横着けはできないような感じです。車を降りて坂道をお寺までは歩けそうにありません。
とりあえず気賀迄行くことにして9:10 ロビーに降りました。

送迎車、といっても乗ったのは二人だけでした。 
気賀駅は無人駅です。ベンチに座って電車を待ちます。鷗がたくさんいるらしい。まだ動機は激しいのですが、ものすごい頻脈というわけではありません。
今日も雲一つない晴天。 

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電車はそこそこ人が乗っていました。乗る時に整理券をとり、降りる時に券を添えてお金を運転手さんに払います。座っているときは少し気分が良かったです。

気賀駅

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気賀関所は箱根、今切(新居)とともに「東海道三大関所」の一つです。姫街道は東海道の脇街道として利用されたそうです。気賀は長楽寺にいくのに一番近い鉄道駅で関所は駅のそばなので予定に加えました。
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電車を降りて歩きだしてみると頭痛、吐き気で気分も悪く、関所に向かいましたが、すぐそこなのに行きつけそうにありません。丁度そばに新しくきれいな「みおつくし文化センター」というのがありました。そこに入って休ませてもらうことにしました。広いホールには誰もいません。椅子に腰かけて休んでいる間に主人は関所を見に行きました。
気賀には北区役所もあります。この辺りの中心地のようです。

気賀関所(9:50~10:15)気賀関所 (kigasekisho.com)
私は行かなかったのですが、折角主人が行って撮ってきた写真がありますので少しだけ載せます。

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冠木門と町木戸門 どちらも高麗門のつくりですね。観光バスもきていて人気の場所らしかったとか。

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町木戸門側から見ているようです。(手前の小屋がおトイレらしい)

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本番所

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手前は 上の間 家老など身分の高い人が控える間

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向番所 足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用しました。内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行いました。
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姫様館 にはお籠や当時の食事等が展示されていたそうです。 

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10:15 タクシーが来た、と呼びに来ました。車はこのセンター前には停められないそうで、関所迄少し歩きました。休んでいればラクだったのに、歩くと気分最悪。なんとかタクシーに乗り込み、やはり長楽寺はやめで龍潭寺に行ってもらいました。10分余りで着きました。

龍潭寺は大河ドラマ「おんな城主直虎」にでてくるお寺、小林薫演ずる南渓和尚もいい味だしていたような。

駐車場横に売店、そばにベンチもあります。そこに座りこんでしまいました。すぐには動けそうにありません。主人はどうしていいかわからなかったのでしょう。このまま帰るべきか考えていたのかもしれません。そのあたりを行ったり来たり。申し訳なかったです。私は時間がたてば回復することは確信していましたし、どうしても龍潭寺はみたかったので目を瞑って静かに座っていました。 

売店にあった手書き案内図
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地図下方右のお休み処の横に座っていました。1時間ほどして、どうやら大丈夫かな、という状態になったのでお寺に行こうとしたら、あいにく観光バスが来ました。これを避けるために先にお昼にすることにして横断歩道を渡った所にあるお店へ。
お蕎麦を注文しましたが、あまり手が付けられませんでした。

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12:20 ゆっくり参道を進み始めました。
龍潭寺  (12:20~13:55)
遠州の古刹 龍潭寺 (ryotanji.com)
733年、行基により開創と寺伝にはあるそうです。
龍潭寺のある井伊谷は古くは「井の国」と言われ「井の大王」が収めた土地です。水がゆたかだったらしいです。
平安時代1010年井伊氏の元祖井伊共保は生まれました。(井伊氏発祥の井戸はすぐ近くにあるのですが、結局行く元気がなかったのが残念です)元祖のときからから龍潭寺は井伊家の菩提寺です。
24代井伊直政の後見人として養育したのが22代井伊直盛の娘・直虎。直虎は龍潭寺二世南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機から救いました。

山門 手前両側の石が素晴らしい。仁王石とでも呼びたい。
(これは私が撮った写真、写真は二人のが入り混じっています。時々は写真を撮る気力も少しは戻ってきています。)
境内では2番目に古い建物。門は本瓦葺きの四脚門で、江戸時代前期(1656年・明暦2年)に再建されました。

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山号額は「萬松山」は朝鮮通信使の雪峯(せっぽう)が彦根藩井伊氏のもとで書いたものが龍潭寺に納められました。
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東門(旧鐘楼堂) 左奥に鐘楼堂
龍潭寺では一番古い約400年前の建物。
建物の傷みのため下部分を切り、現在は低くなっているそうです。

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庫裡
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庫裡から入って本堂へ (1676年)

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丈六の仏 木彫寄木造り 釈迦如来坐像、身丈 2.80m(総丈台座共3.55m)
享保14年(1729)建立。
顔に残る傷跡は、 廃仏棄釈の際つけられたもの

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本堂の前の廊下は鴬張り(左甚五郎作)で歩くと音がしました。

お隣の室中には釈迦三尊が祀られ(布で隠れて見えなくなっていました)両側の襖には江戸初期に描かれた「龍虎の絵」が見られました。(この期間だけだったようです)

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前庭 補陀落の庭 補陀落はインドの南端にある観音霊場 白砂が五本の指のように見えることから浜名湖の庭、とみられています。
汀線がきれいです。奥に見えるのは仁王門です。
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奥に鐘楼、左の木が気に入りました。

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縁側端の隅に 左甚五郎作の「龍」の彫刻
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私は先に進まず、北庭の方にまわりました。
開山堂には 南渓和尚像もあったそうです。

御霊屋 井伊家代々の御位牌と像
丁度、秋の特別公開の時期でこの御霊屋内部は普段はみられないらしいです。

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北庭 江戸時代初期、小堀遠州作 池泉鑑賞式庭園

光が中途半端に当たっていて見にくい時間帯でした。

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テープで説明が流れます。

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影になって見にくいですが、中央部です。
手前左の平たい黒い石が礼拝石(座禅石)中央部(池の中)の上が黒い石が蓬莱岩島その左が
鶴出島、右が亀出島です。
亀出島の上方に守護石、これは両裾に石を配して三尊石となっています。

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向こうは御霊屋
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仁王石が景を引き締めています。
私が気にいったのはいくつも連なる築山のこういう場合も稜線というのでしょうか、この穏やかなラインがとても美しいと感じましたが、撮ってきた写真から探してもなかなかいい写真がありません。

書院側から
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この後 書院に展示されていた展示を観ました。特別展の期間でしたから、直虎座像(北条政子のような尼姿)や龍潭寺屏風 遊楽之図等が展示されていました。でもここは撮影禁止でした。

そろそろ出ることにしました。私はゆっくり戻りますが、主人はあちこち見るべきところを回って写真を撮りましたのでそれを載せておきます。
井伊家墓所 
向かって左、奥から二番目が直虎の墓

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左が開山堂
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仁王門側から見た本堂。

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仁王門(奥に見えているのが本堂)
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梛の木と子育て地蔵
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梛の木は樹齢400年余り、直政公の無事成長を願って植えられたと伝わっています。

3:55 売店横のベンチに戻ってきてタクシーを呼びました。ところがなかなか来ません。
14:20になってやっときて、気賀駅前へ。駅前のバス乗り場につけてもらって、バス時刻表を見ると調べたときは11分の
次は40分のはずが29分というのがある、と思ったらそのバスがやってきて間一髪というタイミングで乗ることができました。回るルートが違うらしかったのですが、浜松駅までの時間は変わらないそうです。
途中三方ヶ原というところや浜松城横を通りました。
換気のためか窓を開けてあったので冷たい風が当たり、そのためもあってか気分がよくなって浜松駅についたときにはすっかり体調は元に戻っていました。逆に足の痛さが気になってきました。


15:45頃浜松駅着。
さあ、ウナギ屋さんです。先達がいらした丸浜というお店はすぐわかりました。
夕食には早いのでお弁当を買うつもりです。クーポンがありますから、一番上等を二つ買うことにしました。

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ところが紙クーポンのままではだめでスマホで読み込まなければいけません。これがどうにもうまくいかないのです。お弁当は注文があってから作るので少し待つのですが、出来上がってもまだ操作が出来ません。
アイフォンなのに違うQRコードを読み込んでいたのです。お恥ずかしい。

思わぬ時間がかかってしまって切符売り場へ行ったときはもう16:20近く。
新幹線ひかり、は本数が少ないのですね。1時間に1、2本。のぞみだと朝など殆ど5分間隔なのに。こだまも少ない上に3両編成ですって。完全にローカル線です。16:20はもう無理そうなので17:20発にしました。それも並び席はとれなくて二人掛けの前後通路側です。
待っている間に
お土産物屋さんを物色、わさび漬けや浅利のしぐれ煮煮など買い込みました。待ちの多い一日でした。

19:20頃 帰宅 (5411歩)

いそいですましのおつゆだけ作っていただきました。

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私は半分の半分、つまり四分の一程度でいいのです。まだほんのり温かかったのですが、ご飯は固くなっていました。
鰻はいつも生活クラブの冷凍を湯煎にして温めていただくのですが、柔らかくて、でもあっさり(たれではなく鰻そのものが)しています。このお弁当は鰻も少し固くなっていましたが(縁など少しカリカリ)お味が少し違います。魚っぽいというのもおかしいですが、、、。これが鰻本来の味なのでしょうか。
もう一折は冷蔵庫にしまって翌朝あたためるために少し蒸しました。このほうが鰻もご飯も柔らかくなって、やっと美味しい鰻がいただけた、という気がしました。

体調不良は不運でしたが、それでも当初行きたかったところは行けたのでよしと思うことにしました。ただ今後の旅行、どうしましょう。 

 旅行記完

その後足は違和感はあるものの、普通に歩けています。

2022年12月 4日 (日)

浜松へ 1日目ー2 本興寺

11月24日(木)
13:04 鷲津駅に着きました。
とりあえずお昼ご飯、とネットで調べたおうどん屋さんに行ってみました。
ところがお休み!
駅前の他のお店もちょっと入る気になれず、バッグに入れてきたおせんべいをベンチでかじりながらタクシーがくるのを待ちます(前の人が乗ったタクシーの運転手さんが電話で次のタクシーを呼んでくれていたので)。

それほどおなかがすいているわけでもないので先にお寺を見にいくことにします。

ほどなく来たタクシ―で本堂前まで行ってもらいました。

本興寺 (13:30~15:15)
もとは応安年間(1368~75年)の草創の、豊橋にある真言宗の末寺でした(名は不明)。
1383年、法華宗陣門流の門祖、日陣上人の東海巡化の途時、本興寺前身の寺の住僧に法戦を挑み、法論数十日、住僧は旧宗の非を悟り、門祖に帰伏。住僧は名を日乗と改め、法華宗の寺とし本法興隆を願って名前を本興寺としました。(法華宗陣門流?日蓮宗って分派がいくつもあるようですが、いまのところそれについて勉強したいとも思っていないので深入りしません。法戦を挑んだ、というのですから、他宗にたいしてだけでなく同じ宗派内でも論戦が盛んだったのかしら、と推測) 

戦国時代にも今川氏はじめ多くの外護を受けたのですが、1572年徳川家康から御朱印地を受け10万石の格式を持って遇され、葵の御紋の使用を許されました。寺域も2万6千坪あまりあります。
下地図では山門になっていますが、お寺の入口の門と区別するために惣門とします。

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本堂前に着きました。おお、茅葺のお堂が見えています。両脇には開山杉。

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はやる心をおさえて傍らの歌碑や句碑を見ます。
北原白秋は1932~33年、鷲津に滞在中、本興寺を訪れて歌を残しました。

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星野立子の句碑もありました。

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ゆっくり階段をあがって

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本堂 (国重要文化財、1552年修復)

北正面です。つまり南を向いて拝むことになります。
前後に瓦屋根の向拝が付いています。
失礼ながら格子の中を拝見
本尊に本仏釈迦牟尼世尊及び十界勧請の諸尊を祀っている、とありました。(十界とは人間の心の全ての境地を十に分類したもの(地獄、餓鬼から 菩薩、仏界まで)

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主柱と向拝柱をむすぶ、この曲がった木を、海老虹梁とよぶそうです。

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萱葺き屋根がこんもりかぶさっています。

古寂びた感じが実にいいです。  

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ほぼ方形で宝珠形のようですが屋根の上を見ると寄棟造りであることが分かります。間口の方が少し広いようです。

床下の少し盛り上がって見えるのが、防湿対策として漆喰で包まれた亀腹です。

桁行5間、梁間(奥行)5間の茅葺で大仏様式・禅宗様式の二様式と和様を巧に取り入れ、三様式を折衷した室町時代の特徴を よく現している、と案内板にありました。  

禅宗様式、とか和様とかどの部分がどうだからなのでしょう?様式について検索をしてみましたが、完全に理解はできていません。これはしっかり勉強したい分野です。とりあえず理解した所だけ書いておきます。 

*神社建築は殆ど和様です。
*高床で縁側を回すのは和様(禅宗様は土間で縁側は設けない)
*和様では、扉は板戸か蔀、

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*垂木(屋根を支えるための木)は和様では平行、禅宗様では隅が扇形(この本堂はこの点では 和様)

柱と柱をつなぐ横木、長押(下写真でいうと扉・壁のすぐ上)貫(柱を貫通している、長押の上)について
*和様は長押の多用、大仏様は貫を多用、禅宗様は貫を多用し長押を使わない。(ここでは長押も貫も使われている)
*和様の壁は横板、禅宗様は縦板 
 ↓桟があります、これは横板と言えるのでしょうか?

西南方向から
こちらは矢張り裏なのか、主柱と向拝の柱を結ぶ木に装飾性はありません。それにしても萱葺きの厚みがすごいです。

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*木鼻(木の端につきでている部分)下写真、屋根の下、一番奥の柱から小さく出ているのが木鼻。
和様では使わないが時代が下がると取り入れる場合もある。大仏様木鼻はシンプル、初期のものは猪の目、など 
禅宗様木鼻の特徴は渦紋 ここのは禅宗様かな?

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おおざっぱに言って装飾的要素が少ない素朴な感じがするのが和様で装飾的なのが禅宗様らしいです。

細部に禅宗様が見られるものの、ここは基本、和様かな?と思いました。(さらなる勉強の必要性は感じています)

屋根が向きによって微妙に違います。
北西方向から

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南東方向から

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茅葺屋根をつくるときの 微妙な差?と思いましたが、

本殿の斜め後方に客殿があります。
本堂の拡大版と思える程形が似ています。

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その屋根の角の縁が同じようなのです。

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もともとああいう形なのですね。
客殿は1637年建立。1773年再建。かつては萱葺きとしては東海随一であったとあります。随一とは規模のことでしょうか?

他の建物もざっとみておきました。

墓地の手前に 千仏堂
1700年渡辺越中守夫人の発願により建立、1841年再建。桁行、梁間とも3間宝珠造り単層の桟瓦葺、細部の手法から禅宗様の建築様式を備えている、案内板にかいてありました。

この花頭窓が禅宗様ですね。でも土間ではないです。

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この奥の墓地に「西ノ郡御前の供養塔」があるという立て札があるので探したのですが、それらしいものはありません。お参りにいらしていた檀家の方にお聞きしてもご存じないようでした。

三十番神堂 (本堂東側)1404年勧請、1641年再建、1822年再造立
三十番神とは神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。(陰暦だと一か月は29乃至30日)
本堂東側から 放生池と三十番神堂をのぞむ。

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鐘楼(1674年、大正4年修復)

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中門 1711年建立 薬医門という建て方
藥医門とは前方(外側)に2本、後ろ(内側)に2本の4本の柱で屋根を支えるのですが、屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間ではなく少し前方にきています。その重量を支えるため前方の2本の柱が後方のものよりやや太くなっているそうですが、横から写真をとっていないのでここではそれらのことは見てとれません。

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葉の落ちた木が好きなので一枚。

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位置確認

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参道を少し戻って

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本興寺山門

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石ではなく粘土をこねてつくったような大灯籠がありました。

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建物に入るとすぐ目についたのが「御朱印籠」
幕府より受けた御朱印状を運ぶ籠。持ち手についている木の札は「御判物」とかかれています。これはこのお寺が十万石の格式を持つものであったからです。

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方丈の受付を経て大書院へ (1827年建立)

説明のテープが流れます。

最初の部屋には(下段の間)には岸良(がんりょう、江戸時代後期の画家)の「双龍争珠の図」

谷文晁の「四季山水画」は 中の間に四季山水画の内 秋が、上段の間には他の季節が描かれています。
これは1827年 大書院の落成記念に文晁に依頼して描いてもらったものです。

写真は上段の間には撮影禁止の立て札がありましたが、他のお部屋はなかったような、でも撮りませんでした。
いただいたパンフレットから

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こういう絵についての鑑賞眼はないので、ただ、ほうと眺めただけです。
上段の間には 白秋愛用の机、というのが置いてありました。

それよりお庭 大書院、奥書院の二方向から鑑賞できます。
蓬莱式池泉鑑賞庭園
遠州流庭園です。

大書院側から
左奥の小さい島が亀島です。その右の松の木が繁っている島が鶴島、さらに右が出島。奥に切石橋も見えています。
池に向かう飛び石の一番池に近い石が礼拝石です。
亀島奥の ツツジ(?)の植え込みの影に枯れ滝石組みがあり、その左に三尊石、さらに左に須弥山があるそうですが、見えません。もっと刈り込んで石組みを見せてほしいものです。

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奥書院側から 鶴島は切石橋で繋がっています。松の右が鶴の首?両側の平たい石が羽?(確証はありません)
右奥白い石があるあたりが滝らしいです。

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切石橋が美しい。右は亀島ではないのですが、亀の頭のように見えます。

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後で教えていただいた 藻の花 も見えています。

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奥書院
奥書院はもと三河国吉田城にあった建物で、1674年、惣門とともに寄進されたもの。木造平屋建てで桁行8間、梁間5間の寄棟造り、萱葺き、桟瓦葺きの縁側を付けた住宅風書院建築。創建時のものではないが、材料や技法など江戸時代初期の建物様式を残す形で造られています。

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徳川将軍家御霊屋

奥の部屋には碁盤が見えます。多分、天狗の碁盤だと思います。
本興寺の第十六世の住職だった日隠上人は、非常な碁好きでまた強くもありました。ある日書院の縁側で、独り碁を打っていると天狗が現れて手合わせを申し込んできました。ところが和尚に勝つことができず、悔しさのあまり爪で碁盤の表面を引っかいたそうです。以来この碁盤を「天狗の碁盤」と言い、寺の宝物となりました。(市の案内より)

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廊下伝いに客殿
現在はどうやらここが本殿の役割をしているようです。

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門祖 日陣上人 (多分この絵はここだったと思うのですが、奥書院だったか? )

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また奥書院に戻ってコピーしていた資料を参考にお庭を見ながら枯滝石組みはどこかと話していると、受付の人がやってきて「どこから来たの?」「横浜から」「折角遠くから来たのだから滝へ案内しましょう」と靴をもってくるように言って庭に降りました。

その時「あれが藻の花ですよ、珍しいでしょ」と教えてくださいました。藻の花って初めて見ました。
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「これは磐田寒葵、といってこのあたりだけのものです」と教えていただきました。
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奥書院の横からまわって坂道をあがり、下写真、上四分の一辺りのラインを進んで、危なっかしい石段を下りました。私はこのころ足に違和感を覚えて、左足膝辺りが力を入れると痛いので数段おりて戻りました。この写真ではさほどでもなさそうですが結構高さはあります。

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枯滝石組み
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ずっと下まで石組みを見通せたわけではなかったようです。
それより、反対側から庭を俯瞰できたことの意味が大きかったです。

案内してくださった方は受付にいる必要があるのですぐ戻られました。(相客は私たちがいる間は一組だけでした)

受付兼
鑑賞式庭園ですから両書院から眺めるように造られているのだと思いますが、こちらからの景もなかなかいいです。


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こちらからだと亀島が大きく見えます。

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日差しの加減、少しの向きの違いで様子も変わります。
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戻って受付でお礼を言いがてら主人は「西ノ郡御前の供養塔」がみつけられなかったのですが、と持ち掛けると、行き方を丁寧に説明してくださいました。又あの本堂に戻ることになるので、私は先に惣門に行って待っていることにしました。
西ノ郡御前の供養塔
西ノ郡局は徳川家康最初の側室。
父の三河国西郡城主鵜殿長持は1552年本堂建立に尽力した人物。
西郡局は播州姫路城主池田輝政室となった督姫(家康次女)の生母。
1606年伏見城で逝去。このお寺の十世日梅の姉であったことから供養塔が建てられています。

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これを撮っているとき、分かったかどうか心配して先ほどの受付の方がいらしてくださったそうです。本当にご親切な方でした。

参道の両側には塔頭が並んでいます。それらを眺めながら惣門に向かって歩きます。
どこも前庭がきれいに整えられていて、入ってみたくなりましたが、失礼かと思い素通りしました。

長勝院

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玉葉院

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光明院

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東光院

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惣門です。1674年三州吉田常(豊橋)の城門で、老中久世大和守広之の寄進によって移築。
高麗門という形式は本柱の後方に控え柱を立て、本柱が支える切妻屋根とは別に、これと直角に控え柱の上にも左右二個の切妻小屋根をかけたものです。

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ここで15:20近くになりました。
予定は JR鷲津駅16:04発16:19新所原着 天浜線新所原駅6:19発16:47 浜名湖佐久米駅着 徒歩でホテルへ

先達のいらしたお蕎麦屋さんへ、急いで行こう、と言いますが、私はあわてて食事もどうか、それほどおなかも空いていないし、ということで食べずに徒歩で鷲津駅に向かいました。ゆっくり歩いて、途中コンビニによって(お茶やカロリーメイトを仕入れて)駅へ。新所原でゆっくりの方がいいということで一本早い電車に乗りました。(JRは本数がそこそこあります)

新所原で天竜浜名湖鉄道に乗り換えです。
新所原駅 天浜線乗り場

なんと単線、一両です!1時間に一本です。

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電車はかわいいです。
始発駅のせいか、切符の自動販売機がありました。SUICAは使えません。降りるときは(無人駅なので)運転手さんに切符を渡します。途中駅からの人は自販機がないので現金を渡します。昔のバスみたいです。
乗り換えで階段(エレベーターあり)を下りるとき膝が飛び上がるほど痛かったです。よく膝の悪い人は上りより下りがつらいと聞いたたことがありますが、まさにその通り。

16:47 浜名湖佐久米駅着 降りる前に湖の縁に建つ宿泊ホテルを視認。徒歩7分のところを10分以上かけてゆっくり歩いていきました。あれが宿泊ホテルです。

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このころ足はかなり痛くなっていましたが心配をかけたくないので何も言いませんでした。いつも歩くのが遅いので疲れたのだろう、くらいしか思っていなかったようです。

17:00過ぎ 
ホテルグリーンプラザ浜松着
予防接種済証明書とマイナンバーカードを提示して全国旅行割の恩恵を得ました。ただしクーポンが一枚の紙。ホテルの売店はこのまま使えるそうです。あまりクーポンが使えるところが少ないのでここで使うよう力説されました。
17:10お部屋
お部屋は角部屋で二方向湖に面しているようですが、暗いので外は見えませんでした。
お部屋はゆったりしていいのですが、バスルームがバスタブ、トイレ、洗面台が一室に非常にコンパクトに詰めこまれていて、これはノーでした。

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お部屋はどれもファミリータイプで畳にお布団を敷いて3人は寝られるそうです。ソファーの背中側に小さな流し台がついていて湯沸かし器が備えられていました。お茶もセルフサービスです。

満室のせいか、夕食は19:00からと言われています。10分前くらいにお電話があって一階のレストランに行きました。
ビュッフェ式、飲み放題です。
入口でポリの手袋をつけさせられて席に案内されます。和様色々、メニューは多彩です。でも私はとり方が下手。それに仕切りのあるお盆をとってしまったせいか、少量を色々とって、なんとなく何を頂いたのか分からないような状態。ビュッフェ方式は合理的かもしれませんが、私は矢張り一皿一皿運ばれてくる方がいいです。

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浜松はギョーザも有名とか、おいしかったです。鰻はごはんなしではどうも。あとでデザートをとりに行ったとき見ていたら横にご飯があって、ご飯の上にこんもり鰻を載せている方がいらっしゃいました。私もそうすればよかった!

デザートはおいしかったです。横はオレンジではなくミカンです。三ケ日みかんは有名です。

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20時過ぎお部屋に戻って、一休みして入浴、就寝。 

 14178歩 

2022年11月29日 (火)

浜松へ 龍雲寺

11月24,25日 浜松に一泊旅行をしました。
旅の先達kikuko様が6月に遠州三名園を巡る旅をなさいました。その旅で龍潭寺にいらしたのです。
龍潭寺、あの直虎のお寺です!
大河ドラマを毎年見ているわけではありませんが「おんな城主直」は見ました。 

直虎になった柴咲コウさんがすてきでした。
なんとなく龍潭寺ってずっと山奥かと思っていたのですが、簡単に行ける場所だったとは!これはもう行かなければなりません。

横浜から浜松は近いので日帰りでも行けそうです。最初は日帰りで、とも考えましたが三名園の一つ、本興寺の本堂が茅葺で好みです。ここも是非見たい。浜名湖の見えるホテルに泊まるのもいいなあ。ということで一泊旅行を目論見ました。
一泊というのは汗をかかない季節だと下着の替え程度の持ち物ですむのでキャリー無し、いつものショルダーバッグとトートバッグを持つだけなので気軽に行けます。
主人に話すと「行くよ」ということで二人旅になりました。

宿は二転三転、結局 最初に狙ったホテルに空きができて天気予報もにらみあわせて出発1週間前に最終決定。

ところが京都旅日記が遅々として進まず、とうとう、どういうサイトを参考にすればよいかなどのことは伝えて旅行計画は主人に丸投げ(粗書きは京都旅行前から作ってありました)。
頑張ってしっかり計画を立ててくれました。行くべきお寺の庭については全てコピーにとって(かなりこのために荷物が重くなりました)歩き苦手な私のためにタクシーも次々電話予約して。

予定
24日(木)
→浜松駅→(バス)龍雲寺→(タクシー)高塚駅→鷲津駅→(タクシー)本興寺、、→新所原駅(乗り換え)→浜名湖佐久米駅、、 ホテル浜名湖グリーンプラザ

25日(金)ホテル→浜名湖佐久米駅→気賀駅 関所→(タクシー)長楽寺→(タクシー)龍潭寺→(タクシー)実相寺→(タクシー)金指駅→(バス)浜松駅

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浜松を起点に時計回りに一周するコースです。

浜松も奥の方になるとタクシーが少ないのですが、気賀駅は大丈夫です。
ところが2日目、私の体調不良で行程は大幅カットになりました。実情はその時にお話していきます。

11月24日(木)

7:47家を出てタクシーで最寄り駅へ

9:21新横浜発ひかりに乗車
キオスクで買っておいたおにぎりで車中朝食
快晴です。気温も二日間とも最高21度、絶好の旅行日和です。

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10:27 浜松駅着
浜松は三度目、でも30年以上前です。一度は舘山寺へ、もう一度は娘とピアノを買いに。
浜松は楽器の町。駅ピアノもありました。
駅前の様子も憶えていませんが、新しいので昔と違うはずです。
バス乗り場は一度地下に降りて乗り場に行くようになっています。

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まずは龍雲寺に向かいます。
5番ポール 20番バス
10:47発のバスで20分あまり、矢田坂でおりました。
行き方はホームページに詳しいです。

龍雲寺 浜松市  永代供養・樹木葬・断食道場・坐禅会 (ryouun.com)

龍雲寺のお庭は遠州三名園には入っていないのですが、建仁寺の潮音庭等の監修をした北山安夫の作ったお庭があるので主人は選んだようです。
(北山氏のことをお寺のホームページでは平成の小堀遠州と書いています)
三名園は龍潭寺、本興寺、長楽寺のお庭です。
ちなみに庭園ガイドで静岡県ランキングは1位龍潭寺、2位実相寺、3位摩訶耶寺、4位龍雲寺になっています。摩訶耶寺にも行きたかったのですが、駅から徒歩30分、時間的にも無理なので諦めました。

龍雲寺(11:20~12:25)

臨済宗妙心寺派のお寺
開基は木寺宮康仁親王(光源天皇皇太子、後二条天皇皇孫)1330年代
持明院統と大覚寺統の間で皇位が行き来していた時代、親王は後醍醐天皇の台頭により廃太子となり、南朝の荘園があったこの辺りに下向。館を建て、祈祷所をもうけたのが寺の起源。(木寺宮の下向に関しては異説があるようですが、お寺の歴史ではこうなっています)
開山は足利義満の指南役であった春屋妙葩。
三方が原の合戦後、恵林寺との関係から武田側についていたのでその後、家康に攻められ1580年、宮家は屋敷に火を放ち逃げました。お寺も兵火に見舞われ廃れましたが、元禄時代に再興、現在に至っています。

矢田坂でバスをおりて5分くらい歩くとお寺が見えてきました。(11:16)

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菊のご紋章がついています。お寺は「西湖山龍雲寺」なので扁額には西湖山と書かれています。

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三門を入って右手に薬師堂  象がいる!

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左手、どうやらこの門から本堂に入るようです。
参道脇の流れは後から行く滝からの流れらしいです。

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入ると、もういきなり素敵なお庭。北山安夫作の「無量寿庭」と名付けられた枯山水庭園です。

勝手に入って見られます。
「このお寺は観光寺院ではないので拝観料はとりません。よろしければお帰りに志納金を」ということになっています。もちろん、拝観料相当分はお賽銭箱に入れました。

入って右 本堂側 手前は龍をあらわす石組み、奥、松の木が生えているのが亀島
本堂横の階段はあとから行く山頂への道、本堂屋根の向こうに鐘つき堂が見えています。

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左を見ると 大きい石が阿弥陀如来を表し両脇の石と合わせて三尊石、周りの石は弟子たちを表しています。

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石が茶色いせいか白砂とのなじみがいいように思いました。

40分後、一回りしてから撮った写真もついでにここで載せます。
本堂の縁側から。龍は亀の方を向き、亀は仏の方を向き、円を描いているようなつくりです。
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大海を泳ぐ亀

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懸命に泳いでいる感があります。亀には青石が使われていますが、川石だそうです。(お庭さん、というページには天竜川沿いの、とありました) 

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龍は山石を使っています。くねって進む龍は海から尖った背骨をところどころで見せています(石は地中深く埋めてあるそうです)。

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三尊石

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日のあたり方によって印象が違いますが、茶色い石が多いせいか温かみを感じて、この庭、とても気に入りました。
裏庭が清浄庭ですが、こちらも清浄庭と呼びたい気がします。

本堂で手を合わせてから裏へ回ります。

途中の細長い空き地に石が置かれています。
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一瞬、京都・大徳寺・龍源院の東滴壺 の真似?なんて失礼なことを考えましたが、向こうの大滝からの流れの続きと考えるべきだと思いました。

本堂裏庭 清浄庭
「無位の滝」と名付けられた高さ15メートルもの大きな滝があらわれます。写真だとそれほど感じませんが、実際間近で見るると圧倒的な高さです。

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巨大なのでこの空間にはバランス的にどうかな、という気もしました。

北山氏は「いずれの庭園も完成は30年後だ」とおっしゃっているそうです。植物が育ち、石が苔むしてくると雰囲気が変わってくるのでしょう。Wikiには2013年造園とありますから、まだ10年経っていないことになります。

この後涅槃堂へ行きました。途中の通路には地獄極楽図

涅槃堂にはダウン症の書家・金澤翔子さんの書が展示されています。 

「世界一大きい般若心経」

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「龍」

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「一円相」

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書のこともよくわからないのですが、素敵だと思いました。
このお部屋の雪見障子から見えたお庭

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横には「光の納骨堂」
とってもおしゃれです。
光るガラス壺に分骨したお骨を入れ、骨壺はその下に三つくらいはいるそうです。私もここがいいな。 

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大体見終わりました。これから外に出て頂上まで行きます。

本堂横には 水琴窟

下の突き出している竹に耳を当てると金属的な音が時々聞こえました。

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本堂脇の緩い階段、坂等を経て7分くらいで頂上に着きました。途中に鐘つき堂もありました。

この頂上は滝の上に見える塔のあるところです。

佐鳴観音像

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観音像より、この木が気に入りました。
うっとりため息をつきながらしばし見入りました。

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佐鳴湖 奥の方は南アルプスでしょうか?
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下りる途中に 木寺宮康仁親王のお墓
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本堂の横から上がって帰りは駐車場の所に降りました。山を時計回りに散歩したことになります。降りる途中でタクシー会社に電話したので、下に降りるとすぐ車は来ました。

モダンなお庭、金澤翔子さんの書、ひかりの納骨堂、それに座禅道場や写経会、婚活支援まで、とても意欲的なお寺です。

国鉄高塚駅12:51→13:04 鷲津

続きは次回に