浜松へ 2日目 気賀関所 龍潭寺
10月25日(金)
朝、日の出は6時半ごろです。6時過ぎに起きました。
やはり膝は痛いです。膝頭というより外側脇です。骨ではなく筋?帰ったら整形外科かしら?又リハビリに通わされるのはウンザリ
6:19 空が明るくなってきました。右端の観覧車のある場所は多分、舘山寺。
6:35
6:42 完全に太陽が顔を出しました。
朝食は7:00からです。
混むといやなので 7:00ジャストに行きました。
勿論ビュッフェです。浅利が美味しかったので帰りに買うことにしましょう。
7時半過ぎお部屋に戻って一休み。足が痛いのが不安だった、ということもあるのでしょうか、8時半過ぎ、突如動機が早くなりました。いやな予感、どんどん激しくなります。不整脈の発作です。息苦しくて気分が悪くて、耐えられそうにありません。とうとう主人に調子が悪いと告げました。
こういう発作、この前は9月でした。短ければ1時間、長いと3時間。我慢すれば通り過ぎてくれます。これで死ぬことはない、旅行OKとは言われています。頓服もいただいていてバッグに入っています。それをとりだして思案。副作用に頭痛、関節の痛み等々書いてあるので、飲むのはやめて時の経つのを待つことにしました。
9:33浜名湖佐久米発の電車に乗る予定で9:20発のホテル送迎車を頼んであります。気賀駅から長楽寺はタクシーで6分。 気賀関所を見学するつもりで10:15関所前にタクシーを手配済みです。
長楽寺門前にタクシー横着けはできないような感じです。車を降りて坂道をお寺までは歩けそうにありません。
とりあえず気賀迄行くことにして9:10 ロビーに降りました。
送迎車、といっても乗ったのは二人だけでした。
気賀駅は無人駅です。ベンチに座って電車を待ちます。鷗がたくさんいるらしい。まだ動機は激しいのですが、ものすごい頻脈というわけではありません。
今日も雲一つない晴天。
電車はそこそこ人が乗っていました。乗る時に整理券をとり、降りる時に券を添えてお金を運転手さんに払います。座っているときは少し気分が良かったです。
気賀駅
気賀関所は箱根、今切(新居)とともに「東海道三大関所」の一つです。姫街道は東海道の脇街道として利用されたそうです。気賀は長楽寺にいくのに一番近い鉄道駅で関所は駅のそばなので予定に加えました。
電車を降りて歩きだしてみると頭痛、吐き気で気分も悪く、関所に向かいましたが、すぐそこなのに行きつけそうにありません。丁度そばに新しくきれいな「みおつくし文化センター」というのがありました。そこに入って休ませてもらうことにしました。広いホールには誰もいません。椅子に腰かけて休んでいる間に主人は関所を見に行きました。
気賀には北区役所もあります。この辺りの中心地のようです。
気賀関所(9:50~10:15)気賀関所 (kigasekisho.com)
私は行かなかったのですが、折角主人が行って撮ってきた写真がありますので少しだけ載せます。
冠木門と町木戸門 どちらも高麗門のつくりですね。観光バスもきていて人気の場所らしかったとか。
町木戸門側から見ているようです。(手前の小屋がおトイレらしい)
本番所
手前は 上の間 家老など身分の高い人が控える間
向番所 足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用しました。内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行いました。
姫様館 にはお籠や当時の食事等が展示されていたそうです。
10:15 タクシーが来た、と呼びに来ました。車はこのセンター前には停められないそうで、関所迄少し歩きました。休んでいればラクだったのに、歩くと気分最悪。なんとかタクシーに乗り込み、やはり長楽寺はやめで龍潭寺に行ってもらいました。10分余りで着きました。
龍潭寺は大河ドラマ「おんな城主直虎」にでてくるお寺、小林薫演ずる南渓和尚もいい味だしていたような。
駐車場横に売店、そばにベンチもあります。そこに座りこんでしまいました。すぐには動けそうにありません。主人はどうしていいかわからなかったのでしょう。このまま帰るべきか考えていたのかもしれません。そのあたりを行ったり来たり。申し訳なかったです。私は時間がたてば回復することは確信していましたし、どうしても龍潭寺はみたかったので目を瞑って静かに座っていました。
売店にあった手書き案内図
地図下方右のお休み処の横に座っていました。1時間ほどして、どうやら大丈夫かな、という状態になったのでお寺に行こうとしたら、あいにく観光バスが来ました。これを避けるために先にお昼にすることにして横断歩道を渡った所にあるお店へ。
お蕎麦を注文しましたが、あまり手が付けられませんでした。
12:20 ゆっくり参道を進み始めました。
龍潭寺 (12:20~13:55)
遠州の古刹 龍潭寺 (ryotanji.com)
733年、行基により開創と寺伝にはあるそうです。
龍潭寺のある井伊谷は古くは「井の国」と言われ「井の大王」が収めた土地です。水がゆたかだったらしいです。
平安時代1010年井伊氏の元祖井伊共保は生まれました。(井伊氏発祥の井戸はすぐ近くにあるのですが、結局行く元気がなかったのが残念です)元祖のときからから龍潭寺は井伊家の菩提寺です。
24代井伊直政の後見人として養育したのが22代井伊直盛の娘・直虎。直虎は龍潭寺二世南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機から救いました。
山門 手前両側の石が素晴らしい。仁王石とでも呼びたい。
(これは私が撮った写真、写真は二人のが入り混じっています。時々は写真を撮る気力も少しは戻ってきています。)
境内では2番目に古い建物。門は本瓦葺きの四脚門で、江戸時代前期(1656年・明暦2年)に再建されました。
山号額は「萬松山」は朝鮮通信使の雪峯(せっぽう)が彦根藩井伊氏のもとで書いたものが龍潭寺に納められました。
東門(旧鐘楼堂) 左奥に鐘楼堂
龍潭寺では一番古い約400年前の建物。
建物の傷みのため下部分を切り、現在は低くなっているそうです。
庫裡
庫裡から入って本堂へ (1676年)
丈六の仏 木彫寄木造り 釈迦如来坐像、身丈 2.80m(総丈台座共3.55m)
享保14年(1729)建立。
顔に残る傷跡は、 廃仏棄釈の際つけられたもの
本堂の前の廊下は鴬張り(左甚五郎作)で歩くと音がしました。
お隣の室中には釈迦三尊が祀られ(布で隠れて見えなくなっていました)両側の襖には江戸初期に描かれた「龍虎の絵」が見られました。(この期間だけだったようです)
前庭 補陀落の庭 補陀落はインドの南端にある観音霊場 白砂が五本の指のように見えることから浜名湖の庭、とみられています。
汀線がきれいです。奥に見えるのは仁王門です。
奥に鐘楼、左の木が気に入りました。
縁側端の隅に 左甚五郎作の「龍」の彫刻
私は先に進まず、北庭の方にまわりました。
開山堂には 南渓和尚像もあったそうです。
御霊屋 井伊家代々の御位牌と像
丁度、秋の特別公開の時期でこの御霊屋内部は普段はみられないらしいです。
北庭 江戸時代初期、小堀遠州作 池泉鑑賞式庭園
光が中途半端に当たっていて見にくい時間帯でした。
テープで説明が流れます。
影になって見にくいですが、中央部です。
手前左の平たい黒い石が礼拝石(座禅石)中央部(池の中)の上が黒い石が蓬莱岩島その左が鶴出島、右が亀出島です。
亀出島の上方に守護石、これは両裾に石を配して三尊石となっています。
向こうは御霊屋
仁王石が景を引き締めています。
私が気にいったのはいくつも連なる築山のこういう場合も稜線というのでしょうか、この穏やかなラインがとても美しいと感じましたが、撮ってきた写真から探してもなかなかいい写真がありません。
書院側から
この後 書院に展示されていた展示を観ました。特別展の期間でしたから、直虎座像(北条政子のような尼姿)や龍潭寺屏風 遊楽之図等が展示されていました。でもここは撮影禁止でした。
そろそろ出ることにしました。私はゆっくり戻りますが、主人はあちこち見るべきところを回って写真を撮りましたのでそれを載せておきます。
井伊家墓所 向かって左、奥から二番目が直虎の墓
左が開山堂
仁王門側から見た本堂。
仁王門(奥に見えているのが本堂)
梛の木と子育て地蔵
梛の木は樹齢400年余り、直政公の無事成長を願って植えられたと伝わっています。
3:55 売店横のベンチに戻ってきてタクシーを呼びました。ところがなかなか来ません。
14:20になってやっときて、気賀駅前へ。駅前のバス乗り場につけてもらって、バス時刻表を見ると調べたときは11分の次は40分のはずが29分というのがある、と思ったらそのバスがやってきて間一髪というタイミングで乗ることができました。回るルートが違うらしかったのですが、浜松駅までの時間は変わらないそうです。
途中三方ヶ原というところや浜松城横を通りました。
換気のためか窓を開けてあったので冷たい風が当たり、そのためもあってか気分がよくなって浜松駅についたときにはすっかり体調は元に戻っていました。逆に足の痛さが気になってきました。
15:45頃浜松駅着。
さあ、ウナギ屋さんです。先達がいらした丸浜というお店はすぐわかりました。
夕食には早いのでお弁当を買うつもりです。クーポンがありますから、一番上等を二つ買うことにしました。
ところが紙クーポンのままではだめでスマホで読み込まなければいけません。これがどうにもうまくいかないのです。お弁当は注文があってから作るので少し待つのですが、出来上がってもまだ操作が出来ません。アイフォンなのに違うQRコードを読み込んでいたのです。お恥ずかしい。
思わぬ時間がかかってしまって切符売り場へ行ったときはもう16:20近く。
新幹線ひかり、は本数が少ないのですね。1時間に1、2本。のぞみだと朝など殆ど5分間隔なのに。こだまも少ない上に3両編成ですって。完全にローカル線です。16:20はもう無理そうなので17:20発にしました。それも並び席はとれなくて二人掛けの前後通路側です。
待っている間にお土産物屋さんを物色、わさび漬けや浅利のしぐれ煮煮など買い込みました。待ちの多い一日でした。
19:20頃 帰宅 (5411歩)
いそいですましのおつゆだけ作っていただきました。
私は半分の半分、つまり四分の一程度でいいのです。まだほんのり温かかったのですが、ご飯は固くなっていました。
鰻はいつも生活クラブの冷凍を湯煎にして温めていただくのですが、柔らかくて、でもあっさり(たれではなく鰻そのものが)しています。このお弁当は鰻も少し固くなっていましたが(縁など少しカリカリ)お味が少し違います。魚っぽいというのもおかしいですが、、、。これが鰻本来の味なのでしょうか。
もう一折は冷蔵庫にしまって翌朝あたためるために少し蒸しました。このほうが鰻もご飯も柔らかくなって、やっと美味しい鰻がいただけた、という気がしました。
体調不良は不運でしたが、それでも当初行きたかったところは行けたのでよしと思うことにしました。ただ今後の旅行、どうしましょう。
旅行記完
その後足は違和感はあるものの、普通に歩けています。
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