10月22日
北野八幡宮から地蔵院は歩いてもさほどではないのですが、ともかく私の体力温存ということでタクシーで行きました。今日は足はなんともないのですが。
しばらく前に葉室麟の小説『散り椿』を読みました。この表紙は速水御舟の「名樹散椿」ですが、御舟はこの地蔵院の椿を見て描いたそうです。絵は山種美術館が所蔵しています。機会があれば観たいです。(五月末から小林古径・速水御舟展が開かれますが、その出品目録にないのです)
その小説にこの地蔵院が出てくるのです。ある事件で国を出なければならなくなった夫婦がこの地蔵院に住み、寺の散り椿の木を見ながら故郷の家の庭の散り椿を想う場面があるのです。いつか春先に京都に行って地蔵院の散り椿が見たいものだと思っていました。
結婚してからはずっとマンション暮らしですが、実家に椿の木はありました。どこの家にも普通にある木で特に気にとめたこともなかたのですが、今回の旅は椿が目につく旅になりました。
地蔵院(12:44~13:06)
上の立て札にあるように、地蔵院の初代・散り椿は1592年(天正20年)の文禄の役の際に加藤清正が朝鮮の蔚山城から持ちかえったものを秀吉がこの寺に贈った木です。しかしその木は1983年(昭和58年)に樹齢400年で枯れました。2代目・散り椿は樹齢約120年です。
門からもう散り椿が見えています。
ここは拝観料などは取りません。入口の張り紙に「お寺はお参りをするところ、まず合掌」とありました。それでお賽銭はしっかり弾みました。
椿寺だより (exblog.jp) 椿の開花の様子はこちらのブログで見られます。
散り椿は満開。
見事ですが、五色ではない?
違う種類の椿も色々植えられていました。
どなただか分かりませんが、好みです。
キリシタンの墓をみるために裏の墓地の方に行きました。
京都市内で残るキリシタン墓碑は博物館などに移されていて本来あった場所で見られるのはここだけだそうです。このお寺では、くりぬいて手水鉢として使っていたのです。
こういうかまぼこ型のキリシタン墓碑は先年、天草で見たことがあります。
少し、形が違うようです。こちらの方がかまぼこ型。このタイプは全国で4基しか発見されていないと、説明書きにありました。
少し奥に進むと 中庭散り椿
こちらの方が若い木ですが、五色です。
一応見ましたので、妙心寺に向かうことにします。
お寺を出てすぐ横、西大路通のバス停から市営26番で4分。妙心寺北門前でおりて、来た道を少し戻ると桂春院入り口。
桂春院 (13:27~14:21)
桂春院は1337年創設の妙心寺の塔頭の一つで、1598年織田信長の次男、津田秀則威より見性院として創建。秀則没後、美濃の豪族、石河壱岐守源貞政が亡父の追善供養のため、方丈、庫裏、書院、茶室などの建物を完備し、両親の法名からそれぞれ一字、桂と春をとって桂春院と名を改めました。
小堀遠州の弟子、玉淵坊作庭の説があるお庭が有名です(国の史跡名勝庭園に指定されています)。
塔頭を訪ねるってお寺に行くというよりどこかのお宅に伺うようで抹香臭くなくていいです。
お庭は修行に入って悟りを開くまでを表わしているそうです。
無人の入り口で声をかけると女性が出ていらして拝観料を受けとられるとすぐ引っ込まれてしまい、二人きりでした。途中でお抹茶をいただきたかったのに、と思ったのですが、気配全くなしで、頂かずじまいでした。
入ってすぐ庫裏と本堂の間のお庭が「清浄の庭」
井戸の横に枯滝石組が組まれ、花頭窓の下へと流れていきます。残念ながら枯滝石組みは木の影になってしまいました。
(以下、茶色の文字は寺のホームページなどからの引用であることを示しています)
方丈北側に位置する坪庭。石組みの滝の響き、白砂の渓流の音の表現を眺めて身を清める枯山水のお庭です
流れは花頭窓の下をくぐり「侘びの庭」につながります。
かぎ型になっています。
書院から既白庵へ通じる露地庭。内露地と外露地に分かれており、巧みに作られた静寂の侘びの空間で心を整えます
向こうに見える門は茶室、既白庵(非公開)への梅軒門
木の根元には三尊石風に組まれた石。
室内カメラ禁止のサインはなかったので撮りました。
思惟の庭 細長いお庭で一目で見渡せるような写真が撮れていません。おまけにハレーションを起こして見にくいです。
方丈の東側の左右の築山に、点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石にみたてて、さながら深山幽谷、仙境の地の中で坐禅を組み思いに耽ります。
通りすがりに眺める程度で次へ
真如の庭
方丈南側の崖をつつじの大刈込で蔽い、その向こうは生いしげる楓の樹木におおわれ、一面に杉苔の美しい中に、小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を表現しています。
高低差をいかしているといえばいいのでしょうか。この帯状のつつじがとても印象的です。
狩野山雪 金碧松三日月図
ここでサンダルをお借りして(私には大きすぎてとても歩き難かったです)お庭に出ました。
お庭に出る、といっても回遊式庭園を楽しむというわけではなく裏庭を散歩するような感じでした。
庸軒好み井戸
藤村庸軒(1613~99)は千家の茶の湯を極め、宗旦門下の四天王の一人。また漢学もおさめ、詩文をよくした人物。
京都の呉服商で非常に裕福だったそうです。
三尊石もありました。
これ↓なども石は意図的に組まれている気がするのですが。説明がなので意味が分かりません。三尊石だって、どなたかに指摘されなければ気がつきにくいものですから。
奥はお茶室があるようで行き止まりでした。
もどって、ふと「侘びの庭」をみると、どなたか、お薄をいただかれたあとが!
そういえば男性の影を見たような。でもまた二人だけでした。出るとき「ありがとうございました」と声をかけると「どうも、、」とかの声がしただけでした。
14:20過ぎにここを出て妙心寺北門前のバス停へ
一つ一つの場所にかける時間を多めに見積もっていたようで、まだもう一か所くらいまわれそうですが、ホテルに戻ることにしました。
14:40 市営10番バスで北野白梅町へ、降りてすぐ横のバス停に2、3分できた50番バスに乗りました。10番でそのまま行って府庁前から歩くということも考えられるのですが、10番で堀川中立売まで行く方が歩きが短くて済むのです。
乗っているときにスマホでWBCの結果をチェック。日本優勝です!
主人は大喜び、バスを降りるとコンビニにビールを買いに行きました。
15:30にはホテルに着いて主人はさっそくビールを飲みながらテレビのチャンネルをあちこち回して何度も何度も最後のところを見ていました。
私はカウチで本を読みながらうとうと。
夕食の場所はいろいろ行ってみたいレストランはあったのですが、折角ホテル内にレストランがあるので、外に出るのはやめました。
今晩は洋食にしてテラスレストラン・フェリエへ
18:00~19:35
ともかく分量がいただけないので、前菜、デザートはビュッフェから、メインだけ選べる、というコースにしました。
飲み物はこの季節ですから、と桜シャンパンをすすめられたので私はそれにして、主人は白。
ビュッフェだとなんだか朝食みたい、でもおいしかったです。
ここで全国旅行割のクーポンを使うことが出来ました。ホテル付けにするとだめですが、レストランで支払うのなら使えるのです。ブライトンは紙クーポンにしていただけましたが、昨日のホテルは電子クーポンのみ。とてもやっかいでしたが、昨日のうちにすぐ使えるよう設定しておいたので簡単に利用できて大助かりでした。
通路に置かれていたMacintoshの椅子
お部屋にもどって、
テレビでWBCの決勝戦再放送を第一回からやっていたので、主人はずっとそれを見ていました。私はお風呂。
今日は早めにひきあげたせいか 12164歩
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