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2023年春 京都の旅

2023年4月21日 (金)

京都5日目ー5 二条城(2)

10月4日 二条城の続きです。

和楽園で休憩の後清流園をゆっくり眺めました。
清流園昭和40年(1965)に河原町二条にあった旧角倉了以の屋敷の一部、庭石、庭木等を無償で譲りうけ、更に全国から集めた銘石、篤志家より寄贈を受けたものなどを用いています。

和楽庵から眺めています。

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いいです、この景色。

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和楽庵から出て流れの横から眺めます。左が 和楽庵

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向こうの建物は香雲亭、これも角倉了以の屋敷から移築したものです。
茶室前に白い玉石で州浜が造られ飛び石伝いに水辺に行けるようになっています。

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醍醐の桜 豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の桜の子孫で、樹齢約160年といわれている「太閤しだれ桜」を、住友林業(株)のクローン技術で増殖した桜です。

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しばらく桜並木が続きます。今年は開花が早かったため思いがけずお花見ができました。

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ここから出口に向かうことになります。

もう16:00です。タクシーでホテルに戻り、荷物をピックアップしてまたタクシーで駅へ。

このブライトンホテル、お部屋が広々として気持ちがいいだけでなく、スタッフの人数も多く、親切でとてもよかったです。公共の交通機関利用にはやや不便ですが機会があればまた泊まりたいホテルでした。

途中、三条を過ぎたあたりから渋滞しました。でもさほど時間がかかることなく駅に到着。

京都駅では伊勢丹に予約してあった卵サンドを引き取らなければいけません。
一緒に行けば和久傳のお菓子「夜ざくら」を買うことを思い出し、また辻留弁当を受け取った時頂いた伊勢丹の1000円分のクーポンを使うことも思い出したかもしれないのに、私はぼーっと入口で荷物番をしていました。(クーポン、ああ、もったいない!)
帰りの時刻の予想がつかなかったので、これからチケットを買わなければいけません。これまでなら待たずに買えたのに、長蛇の列!30分くらい待ちました。本格的シーズンはこれからなのに。

改札口を入ったところにも主に食料品のお店があります。そこで主人は笹の葉寿司とビールを仕入れます。ふと見ると漬物の「もり」。なんと一度買いたかった「旬 かさね」売っていました。即購入。

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新幹線は隣り合った座席は取れず、通路を挟んで隣り合う席です。見ると、三人掛けのところはどこも中央が空いています。二人だからと言って、二人掛けをとらずに三人掛けを間をあけてとると荷物をおけていいな、と勉強しました。

見ると、主人はお寿司をつまみながらビールのようです。私はお汁粉でまだおなかがいっぱいなので、サンドイッチは家に帰って開きました。 

いくつもの素敵なお庭を拝見できました。
お花の季節ではないとおもっていましたが、思いがけず、たくさんの美しい椿を見ることができ、急に暖かくなったおかげで桜も楽しめていい旅でした。

(16718歩)

******

<つぶら乃>京だし巻き玉子&国産牛肉と九条葱の薄焼き玉子サンドイッチ
つぶら乃は八坂にある料理屋さんです。

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だし巻き卵を挟んだものと、薄焼き卵で食パンをくるみ、味付けした牛肉を挟んだものと二種類入っています。

卵と牛肉、一つずつで私はおなかがいっぱい。主人も一つずつ。実を言いますと、この時は味がぼやけた感じだったのですが、残りを冷蔵庫にいれて(賞味期限を過ぎてはいるのですが)翌朝、それぞれ半分ずつ切っていただきました。味がなじんだのか、とても美味しかったです。分厚すぎて口に入れにくいのですが、また買ってもいいかな、と思いました。(新幹線の中では頂きにくいです)

かさね は取り出すのが少し大変でしたが、少し酸っぱめですが、色々なお味でおいしかったです。

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旅行記 完 
お天気が良くなくて暗い、見づらい写真が多くなってしまいましたが、ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

 

2023年4月20日 (木)

京都 5日目ー4 二条城(1)

4月24日

真如堂前のバス停からバスで東山三条まで行き、地下鉄に乗り換えて二条城に行く予定です。ところがバスが行ったばかりでかなり待ちそうですので、ちょうど来たタクシーに乗り東山で地下鉄に乗り換えました。渋滞の心配があったからです。お値段的にはそのままタクシーで行ってもよかったかと思いました。

さてお昼をどうしましょう。私が心づもりしていたところは地図がないのでお城のどちら側かわからなくなったのです。あちこち歩いて疲れて、チェーンらしいおうどん屋さんに入りましたが、なんだか落ち着かず、ほんの少しだけ(私は)頂いてそそくさと出てしまいました。京都最後のお食事だというのに!

二条城はメジャーな観光地で人出がとても多かったです。私はお城の建物の中を歩いた記憶があるけれど、お庭を見ていない気がするのでお庭がみたい、主人は庭は見たけれど建物の中は入っていない、というわけで両方見ることにしました。

元離宮 二条城(14:00~16:00)
1603年徳川家康が天皇の数京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城。
3台将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために場内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが加えられました。1867年この二の丸御殿で第十五代将軍慶喜が「大政奉還」の意思を表明しました。本丸御殿には入れません。

東大手門から入ります。

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赤の矢印通り2時間コースを歩きました。

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唐門 二の丸御殿の正門です。

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最初に二の丸御殿に入りました。

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残念ながら内部はカメラ禁止です。

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順路に従って説明を聞きながら進みます。廊下は鴬張りのように鳴ります。説明のように「目かすがい」と釘のこすれによって音がします。

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絵狩野派によるものですが全て複製で松の絵が多かったです。虎の絵は印象的でしたが、どれも矢張りレプリカという感じがして楽しめませんでした。
お部屋が広々として、さすが将軍のお城だと思いました。
格天井を見ながら、昔来た時(まだ海外に行ってことがない頃)天井にまで絵を描くのかと驚いたことを思い出しました。

さっさと外に出て、

二の丸庭園
1626年、後水尾天皇の行幸のために、小堀遠州のもとで改修されました。石を組んだのは賢庭です。
スケールの大きさにあわせたのか、巨石が使われていて、豪快な感じがしました。

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中央の島が蓬莱島、右が亀島らしい。

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石の見事さは私にもわかります。

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滝を拡大

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莱島へと向かう舟石

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東橋を渡り本丸櫓門を抜けて本丸庭園へ

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庭園の隅には 天守閣跡 
かつて伏見城から移築された五重六階の天守閣がありましたが、1750年の落雷により焼失してその後、再建されることはありませんでした。石垣の高さは18m。
私は下で待っていましたが、順路として皆さん次々上がっていかれました。眺めが良かったようです。

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ここを出て西橋を渡ると休憩所

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順路に沿って行くと椿林がありました。一枚だけ

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北中仕切り門を抜けると加茂七石が並べられていました。

奥が北中仕切り門

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右手前 八瀬真黒石、その奥が鞍馬石 左が畑石 次の島は二つとも糸掛石

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左(笹の陰)畚下石(ふぐろいし)、中央の黒い石が紫貴船石、右と手前の小石が紅加茂石。

ここを過ぎると左手に入れるようになっていて茶店「和楽庵」があります。

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ここで一休みすることにしてお汁粉をいただきました。

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お汁粉をいただきながら清流園という庭園を鑑賞するつもりでしたが満席で、庭園の見える側には座れませんでした。
このお庭を眺めながら、こぼれそうに一杯の御汁粉をいただきました。甘くて一息つけました。

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この和楽庵というのは角倉了以の屋敷にあった茶室を移築したものだとか。

もう二条城観光も終盤なのですが、この後清流園の写真をいれるとおもくなりすぎますので途中ですが、ここで切ります。

2023年4月17日 (月)

京都 5日目ー3 霊鑑寺

4月24日

法然院を出て霊鑑寺へと歩いていきます。道は「哲学の道」の一本上で霊鑑寺まで高低差は殆どありません。
中間あたりに安楽寺というお寺がありました。法然院のように門の屋根が茅葺で風情があります。

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主人は階段を上がって様子を見に行きました。開く曜日が限られているようです(ほぼ土日祝)。 
安楽寺 | ANRAKUJI // 京都住蓮山安楽寺 (anrakuji-kyoto.com)
このホームページから開く日が確認できます。

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立札によるとこの寺の成り立ちというのが、なかなか興味深い(言い方がよくないかもしれませんが)のです。

法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基。この開山両上人が、現在地より東1キロメートルあたりに「鹿ヶ谷草庵」を結び、布教活動の拠点を持たれたのがこの寺のはじまりです。

法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人,両上人の讃える礼賛が素晴らしく多くの人が集まったのですが、その中に後鳥羽上皇の宮女、松虫姫と鈴虫姫がいました。二人は上皇の留守の夜、御所を抜け出して、両上人より剃髪卯を受け、法名も賜ります。
上皇は激怒。両上人は斬首。両姫は瀬戸内海の生口島で念仏三昧の日を送
ります。 
しかし仕置きはこれだけですまず、法然上人、親鸞聖人までも流罪になりました。

両上人の亡き後、「鹿ヶ谷草庵」は荒廃しましたが、流罪地から帰京した法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命じ「住蓮山安楽寺」と名付けられました。その後、天文年間(1532〜55)に現在地に本堂が再建され、今日にいたっています。

静かな佇まいのお寺にこのような悲劇があったとは。心惹かれます。開いている日に訪ねてみたいと思いました。

ほどなく霊鑑寺への階段下に到着 11:33

霊鑑寺 (11:33~12:40)

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しばらく前に『宮廷女性の戦国史』という本を読みました。その中で皇女についても触れられていました。当時朝廷は経済的に苦しく、何人もの皇子・皇女を育てる資力はありませんでした。それに皇子はお世継ぎが一人いればいい、皇女は格下のところに嫁ぐわけにはいかないのでお相手の公家も限られているうえにそちらも経済的に豊かではなかったのです。そこで経済的基盤が安定している寺院に皇子・皇女を入室させ彼らの一生を安泰なものにしたのです。昨日門前を通った宝鏡寺もそういうお寺の一つです。皇女が入るお寺を比丘尼御所と呼びます(尼門跡は明治になって使われるようになった言葉)。

私は比丘尼御所なるものをみてみたい、とこの霊鑑寺も訪ねてみる気になったのです。霊鑑寺のある場所は元々、後陽成天皇の典侍だった持明院基子の隠居所であったのですが、彼女は後水尾天皇の第十一皇女・多利宮を引き取り、養育することになりました。基子の希望により宮のために自宅を尼寺にすることを願い出ます。
御水尾天皇の嫡妻である東福門院和子は幕府にはたらきかけ、寺領120石をひきだすことにより、1654年多利宮を開山とする比丘尼御所霊鑑寺(谷御所とも)が誕生したのです。

そういうわけで、このお寺が椿でそれほど有名とは知らないまま来たので、大勢の観光客にびっくりしました。
後水尾天皇は椿を好まれたそうです。
次々訪れる人がひきもきらず、入り口でも「東海ツアーの人はこちら」という声もします。ツアーで訪れるほど人気の場所だったのです。後で行く二条城、北野天満宮などを別にすると、訪れた寺のなかでここが一番人が多かったです。もちろん、押し合いへし合いなどというほどではありません。ゆっくりマイペースで楽しめました。

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順路に従ってお庭を回るようになっています。

入ってすぐ左 霊鑑寺散椿

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女性好みのしつらえ。見回すと中年女性が圧倒的に多いです。法然院はどちらかというと若者が多かったかもしれません。

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お庭へと入っていきます。

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向こうに見えている赤い色の椿は日光(じっこう)、後水尾天皇、遺愛の椿です。もとの木は枯れて、それと根がつながっていた木だそうです。京都指定天然記念物です。

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日光椿の後ろには 池泉鑑賞式庭園があります。

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全景がとれなかったのでパンフレットの写真です。

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塀に遠山が描かれています。

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池泉式庭園ということですから、このくぼんだ所が池でもとは水が張られていたようです。向こうに橋が見えています。

ガーデンガイドというhome pageによりますと、この灯籠(般若寺型だそうです)のあるところが出島だそうです。
灯籠の周り三つの石が蓬莱三尊石で横に枯滝石がくまれているとのことです。
下写真 赤で囲ったところが三尊石、青の線が枯滝

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石組みはさらにつづいています。

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順路としては、あの手摺のところを上に行きぐるっと回って降りてきて、渡り廊下の下をくぐって、左手から室内(書院)に上がるようになっています。


その前に戻って日光椿のところから左に行きます。

おそらく椿 秀吉が好んだ花だそうです。

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こちらには五色散り椿

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さきほど見えた石段を上がっていきます。苔も美しい。

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本堂 内部は撮影禁止でした。
1795年将軍家斉の寄進により建立されたものです。安置されているのは恵心僧都の作の「如意輪観音像」で、もと如意寺の本尊であった伝えられているものです。

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青い服の人が立っている道の奥に、涼み台風ベンチが置かれた休憩所がありました・。

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大虹

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夜笠

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降りてきました。

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ローゼンクランツという種類のお花でハートマーク

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蹲も組まれていました。

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王冠

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渡り廊下をくぐると右手 書院に上がることができます。簡単な説明を受けながら拝見。(カメラ不可)

書院は後西天皇の院御所旧殿の御休息所を賜ったもの。

書院上段の間(パンフレットから)

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狩野派と伝わる「四季花鳥図」

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お人形やカルタなども展示されていました。尼寺に入ったからと言っても、姫宮様は念仏三昧で過ごされたわけではないのです。自由に紅葉狩りなどにも行かれたそうです。 

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入り口横
朱月

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12:39 入口受付横に戻ってきました。一回りするのに、ほぼ1時間というところでしょうか。

これまで椿という花に特別注意を向けたことはありませんでした。住んだ家にはどこも椿の木くらいあった気はするのですが、咲いた、散った程度の関心、それすら気付かない年もあったような、、、。椿がこれほど愛らしく美しい花だったとは!花にあまり関心のない私なのに夢中になってしまいました。 

このお寺には100種類以上の椿の木があるそうです。急な暖かさで少し盛りを過ぎた感はありましたが、実に見事でした。主人は今回訪ねたお寺で一番印象に残っているのは霊鑑寺だと、言っておりました。

そろそろ移動する時間です。急な坂を数分下ると哲学の道に出ます。 

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さらに進んで白川通に出ると「真如堂前」のバス停はすぐです。

二条城に向かいますが、それは次回に。

2023年4月15日 (土)

京都 5日目ー2 法然院

 

3月24日
真如堂から法然院まで車では5分とかからなかったような気がします。京都のタクシーは初乗り420円、呼び出し料金も200円でお安くて近距離でも利用しやすいです。この時は720円でした。

タクシーにして良かった!でした。法然院は徒歩で行くと門柱の立っている通りから、だらだら坂をのぼらなければいけません。ところが車だとすぐ横の坂道を上がって行ってお手洗いの前の小さな広場につけてくれました。のぼりゼロです。
えっ!と思ってみると木陰の向こうに白砂檀。有名な山門をくぐらず白砂檀の間も通らず入ってきたことになるのです。

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坂道苦手なので大助かりではあるのですが、白砂檀の間を通ることで身を浄める意味があるのでこの入り方は間違っていますよね。でも楽出来てよかった!です。

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着いたのは多層石塔の前です、

法然院(10:35~11:25) 法然院のホームページ (honen-in.jp)

法然(1133~1212)は専修念仏の教えを時浄土宗の開祖と言われる人。鹿ケ谷に草庵を開いたのですが、久しくあれていたのを1680年知恩院の和尚によってこの地に念仏道場が開かれ、現在の伽藍の基礎が築かれました。
現在は浄土中より独立し、単立宗教法人となっているそうです。

以前『言葉の服』堀畑裕之著 で哲学科出身のファッションデザイナーである著者と哲学者の鷲田清一氏(現在、朝日新聞に折々の言葉を書いていらっしゃいます)との歩きながらの対談が出ていました。
そこで法然院に九鬼周造の墓にお参りするところがあるのです。法然院は最近、河野裕子さんの歌碑が建てられたことで短歌を詠む人の人気を集めているようです。
今度こそは法然院へ、とやってきたわけです。

ところでここは4月1日~7日が特別拝観の日で今日は奥の「三銘椿」の庭や方丈庭園を見られません。雰囲気だけでも、それと墓地に行きたいのですから、方丈庭園はまたいつか機会があれば、ということにして今日来ることにしました。

本当は森閑とした木立の中を散策するつもりでしたが、なんとチェーンソーがキーンと鋭いうなり声をあげています。興覚めもいいところ!

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山門から奥を見ています。

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絵は日によってちがうらしいです。

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右は講堂、敷石が美しい。

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建物には入れず

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これから奥へも進めません。

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墓地の方へ移動することにしました。

 

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何度も振り返って見たくなります。
参道の横にあるのはガラスアート。西中千人氏による瓶などからリサイクルしたガラスを使ったアートです。

「つながる」と題された枯山水です。

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その向かいにお目当ての河野裕子氏と永田和弘氏の歌が刻まれた歌碑が建てられています。去年九月に建てられたばかりです。

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はっきりしませんが 向かって右が

われを呼ぶうら若きこゑよ喉ぼとけ桃の核ほどひかりてゐたる 裕子

左が
きみに逢う以前のぼくにあいたくて海へのバスに揺られていたり 和弘

お二人に名歌と言われる歌は多いですけれど、この二首もいいです。

奥は椿林。

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さてすぐ向かい側に墓地へと続く階段があります。

ある方のブログにのせられていた墓地の配置図をお借りしました。(法然院が配布しているものだそうですので大丈夫かと)

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5番の川田順のお墓が墓じまいされていたのを永田氏がもとめられたそうです。
階段を上がっていくとまず1の河上肇のお墓 横の碑は門下生一同が建てたとありました。

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さらに上がって右手を見ると紅枝垂桜が満開。この桜が谷崎潤一郎のお墓の目印です。

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ちょうど満開でした。紅枝垂桜、谷崎らしいといえばいいのでしょうか。実はこの人の作品は 、、、私にはだめです。

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桜の木をはさんで「寂」と「空」の二つの碑が建てられています。

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「寂」の方に潤一郎・松子夫妻、「空」には松子夫人の妹重子夫妻が眠っているそうです。

さて九鬼周蔵は?間違えて一段下の通りを探しましたが、なくて主人がもう一度戻って上の通りを探すとありました。実はこの時、河野裕子さんのお墓の場所は知らなかったのですが、みると九鬼周蔵のお隣にありました!

13回忌を機に去年9月に建てられました。自然石で造られているところがいいです。

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横の 九鬼周蔵 の墓

学生時代一応『「いき」の構造』は手にしましたが、覚えていません。既に亡くなられた某教授は結構お気に入りのようで色々おっしゃっていらしたな、、、という記憶がうっすらあるだけです。少し学生時代に想いを馳せました。

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下調べがいい加減でした。『言葉の服』にこの側面の文章のことがでていたのに、忘れて写真をちゃんと撮っていません。

ここには 西田幾多郎が訳したゲーテの「旅人の夜の歌」が刻まれているはずなのです。
見はるかす 山々の頂
梢には 風も動かず 鳥も鳴かず
まてしばし やかて 汝も休らはん
少し先に内藤湖南のお墓です。名前を知っているだけです。

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湖南内藤と彫られています。

お寺には20人くらい?はいらしたと思うのですが、ここには二組のかたがいらしただけで、 潤一郎のお墓に詣でられただけで帰られ殆ど私たち二人だけでした。手前、浜田青陵は考古学者だそうです。

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外へ出ます。椿の花、自然に落ちたというより人の手で置かれた感じがしますが、素敵でした。

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ここが本来の入り口です。

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この前の道を銀閣寺と反対方向に5,6分歩くと霊鑑寺です。写真が多くなりましたので霊鑑寺は次回にします。

京都 5日目ー1  真如堂

4月24日(金)
今日は最終日、予定が詰まっています。
7:00 朝食はビュッフェの方が分量を調節できるので、テラスレストランに行きました。 

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奥の方は主人の分です。

8:30?一階におりてチェックアウトをしてキャリーを預けました。

ホテルの玄関前には常にタクシーが停まってっています。
それに乗って真如堂に向かいました。(1500円)

途中運転手さんに促されてみると、丸太橋のたもとに「女紅場跡地」の碑

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女紅場とは明治初期に設置された女子教育機関。1872年(明治5)まず新英学校女紅場が上京区土手町通丸太町下ルに開設。のち女学校を経て1901年(明治34)に京都府立第一高等女学校(現鴨沂高校)と発展。1873年(明治6)以降は市中女紅場を各学区に設置、裁縫・手芸などを教えた。(京都観光Naviより)

真如堂(8:54~10:27)真正極楽寺 真如堂 (shin-nyo-do.jp)

真如堂には一昨年秋にも来ており、その時色々書いたので今回は説明を省略します。
2021年 京都 3-1(真如堂): 緑の風 (cocolog-nifty.com)

今回訪れたのは主人は初めてだからですが、私の目的は赤門と三重塔をしっかりみることです。それと斎藤利三、海北友松のお墓をみつけることです。そうでなくてもこのお寺はなんとなく気に入っているので何度でも来たいのです。

総門(元禄年間に建立) 実はこの写真は帰りに撮ったもので私たちが行ったときは殆ど人影はありませんでした。

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三重塔

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野間宏の『わが塔はそこに立つ』に出てくる塔でずっと見たいと思っていました。 

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本堂から、もう少し空が明るければ映えるのに残念です。機会があればまた来たいです。

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本堂 1717年再建

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入って拝観料をおさめると「花供曽」というおもちを焼いて黒砂糖を絡めたあられのようなお菓子がいただけました。

さっとお庭へと思ったら、大涅槃図絶賛公開中です。説明係の方が丁寧にお話を始められました(写真は後で行く「涅槃の庭」の説明に添えられていた写真からとりました)。

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このお寺は三井家の菩提寺だそうで、1706年に海北友松の子孫で海北友賢という人が描いたものを、三井家が寄進なさったそうです。
縦6.2m横4.5m 。127の生き物が描かれています。猫もいました。蛸もみえています。

涅槃図の説明が終わると横の絵の安倍晴明の話になりました。このお寺と関係があるそうですが忘れました。 

「閻魔王宮伝来の五行の印」というのを見せられました。五芒星が面白い。なんだか禍々しい気もするけれど、、と思いながら一枚おふだみたいなものを買いました。地獄に落ちなくてすむのだそうです。地獄があることを信じてはいないのですが。

決定往生之秘印

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死んだら棺桶にいれるらしいです。

結局25分ほどお話を伺ってから庭園へと行きました。

渡り廊下をいくのですが、途中には

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季節が違うと添えられているお花も違っていました。

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隨縁の庭

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日本を代表する作庭家・重森三玲の流れを引く重森千青氏が2010年に設計した庭園です。四つ目の家紋(三井家家紋)が印象的に配置されています。作庭にあたって、重森氏自ら境内を巡り歩いて見つけ出した石が再利用されています。
「随縁」とは「随縁真如」の略で、「真理が縁に従って種々の相を生じる」という教えです。その本質は変わらずとも、季節や天候、時間帯など条件の違いによってさまざまな表情を見せることで随縁を体現しています。

涅槃の庭

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天龍寺や東福寺などの名刹や宮内庁の庭園管理を手がけてきた名造園家・曽根三郎氏が1988年に作庭した枯山水です。入滅(お釈迦様の最期)をモチーフに、北を枕にして横たわるお釈迦様とそれを取り囲む仏弟子や生類を石組みで表し、ガンジス川の流れを白砂で描き出しています。
稜線をなぞるような有機的な生け垣の向こうには、比叡山や大文字山を含む東山三十六峰を望めます。心静かに穏やかに、いつまでも眺めていたい情景です。
向こうの山に大文字山の大の字が見えています。ホテルのお部屋と向きが同じというわけです。

方向を変えて

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手前隅には

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延段も美しい。前回はここは通りがけにちらりでしたが、立ち止まって見ると、こちらもとてもすてきです。

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椿の影の灯籠は燈明時灯籠
京都府木津川市で興廃を繰り返した燈明寺にあった石灯籠で、三井家経由で1985年に寄進されました。この名物灯籠を模した「燈明寺形」が流行りますが、真如堂にあるものが本歌(オリジナル)です。

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お茶室も見えました。硝子に少し映り込んで見にくいですが、飛び石がいいです。

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襖絵

何人かの画家の絵がありました。↓は円山応挙の流れをくむ円山王祥(昭和時代)の絵です。

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斎藤利三のお墓をみにいこうと、主人は受付に場所を聞きに行きました。
明智光秀の重臣であった斎藤利三は本能寺の変にかかわったため処刑されます。粟田口の処刑場にさらされていた遺骸を海北友松と真如堂住職の東陽坊長盛が寺にはこんだ、という話が葉室麟の『黒龍賦』に出ていたので確かめたかったのです。

 

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横の丸いのが名前がありませんが、海北友松のお墓です。

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今日は予定が詰まっています。そろそろここを出ることにします。

五色散り椿のようにみえます。

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堂々と伸びやかで静かでいいお寺です。何度でも訪ねたくなります。

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つぎは法然院と霊鑑寺です。真如堂とは白川通を挟んで反対側の丘にあります。一昨年上ってきた坂を下ると、霊鑑寺は向かいの坂を上ればすぐですが、坂が急なのです。それで近いけれどタクシーを呼びました。先に法然院に行きます。
法然院については次回に。 

2023年4月13日 (木)

京都 4日目ー3 午後は御苑付近の散歩

4月23日

さくらちゃんは車の中でお留守番しててもらって3人でお昼です。
夜は和食を予約してあるので、ホテル内中華レストラン「花閒」にしました。
(多分12:50~14:15)

できるだけ軽いものを、とマダム・チャイナというコースにしました。

八種小皿前菜盛り合わせ

2023年4月12日 (水)

京都 4日目ー2 本法寺

4月23日
妙蓮寺から本法寺へ行くには門を出て左に来た道を戻り、堀川通りを横切って最初の角を左に折れます。途中、宝鏡寺(別名、百々御所)という皇女が住持だった比丘尼御所の前を通ります。ひな祭りのころに特別公開され、お雛様がみられます。その後4月までは(金・土・日・祝日)と日を限って開けられ、明日金曜が公開日ですが、お雛様?と主人は行きたがりません。椿も有名なのですが、割愛です。

曲がり角の百々橋ひろばは歴史的に有名な場所だそうですが、何も知らない私たちは今回もスルーです。雨ですからひたすらうつむいて急ぎ足。
先達のブログに詳しいです。2023年03月 : 八十路の独り旅 (livedoor.blog)

表千家・不審庵、裏千家・今日庵が右側に並ぶ、落ち着いたとても美しい通りです。

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11:27 本法寺に着きました。妙蓮寺の門を出る直前が11:17でしたから丁度10分です。

本法寺(11:17~12:15)

本法寺は昨年10月に訪れてその記録が下記にあります。そのためお寺の由緒などの説明は省略しますが、画家長谷川等伯ゆかりの寺でまた本阿弥光悦も堂宇の建設のため支援したというお寺す。

京都 3日目ー3 相国寺・承天閣美術館→本法寺: 緑の風 (cocolog-nifty.com)

今回の一番の目的は手水鉢の横におかれた灯篭の人物像を確認することです。織部灯篭(キリシタン灯篭)と確認はしていますが、人物像が彫られている側を見た記憶がなく、写真もありません。
それにお庭も修復中で職人さんがはいっており道具類、芝などがおかれて鑑賞の妨げになっていました。今回は修復なったところを拝見したいと思っています。   

仁王門

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季節が違うとまるで印象が異なります。桜の花が硬い感じを和らげています。
多宝塔

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中に入って私は庭園の方にいそぎたかったのですが、主人は折角だから、と順路通り宝物館に向かいます。

宝物殿の前、向こうにちらっと見えるのが「つなしの庭」こんな素敵な置き行灯が置かれていました。

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現在、春の特別展が開かれていて、前回は複製が展示されていた「大涅槃図」の真筆が宝物殿で公開されています。

大涅槃図」長谷川等伯筆

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別に観なくても、と軽い気持ちではいったのですが、入って、ワー素晴らしい!と瞬時に思ってしまいました。
去年来たときは、ただ何だかごちゃごちゃ描いてあるなー、だったのに。
思わず息をのみました。
こういう絵を見るための素養も鑑賞眼も、当然信仰心もないのですが、矢張りこれが本物の力なのでしょうか。感動でした。やはり来てよかったです。私の記憶ちがいでなければ真筆の方が色が明るいのではないか、という気がします。

その他
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上は「唐獅子図」狩野山楽筆(伝) 下は「薔薇図」(だれの筆になるかは書かれていませんでした)
その他光悦の楽茶碗、書などがありました。


狩野山楽筆と伝わる唐獅子図(重文)と、その対として当山で格護されてきた「薔薇図」という説明になっています。

ツイッターの
光悦本法寺お知らせ】令和5年大涅槃図御開帳・春季特別寺宝展 2023年3月14日(火)~4月15日(土)10時~16時 重文の長谷川等伯の佛涅槃図と狩野山楽の唐獅子図屏風、薔薇図屏風は本邦初公開です。

の赤楽茶碗や書などもありました。

さて、お庭に向かいます。こういう蹲(蹲とは手水鉢だけでなく、前石、横に手燭石、湯桶石などがセットになっているものを言います)のあるお庭の横を通りました。

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蹲について 蹲の組み方

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森川造園という会社のホームページから借用しました。形式としては水鉢も含めて石で取り囲むようなものもあります。また茶道の流派によって手燭石と湯桶石が左右逆の場合もあるようです。海の中のゴロタ石のところから排水されます。
このお庭の蹲は比較的、つくりがわかりやすいですが、次の光悦の蹲でははっきりしません。今回一番分かりやすかったのは泉涌寺の蹲でした(蹲という言葉がでてきたのでつい余計なことを書いてしまいました)。

↓これが織部灯篭の置かれている「光悦の蹲」のあるお庭です。メインの「巴の庭」に向かうときなら灯篭の竿にこの像が見えますが、通り過ぎて振り返ると像は見えません。でもこの方向だと手水鉢が隠れてしまいます。

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次に見る「巴の庭」は位置的にはこの写真の右手になります。

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竿の上部が丸くなっていて、まさしく織部灯篭です。このように仏像には見えない像が刻まれているのでキリストかマリアか、あるいは宣教師という説もあるらしいのですがそういうことからキリシタン灯篭とも呼ばれています。
でもキリストがこういうポーズで描かれることはないですね。
色々ネットで検索してみると、このタイプの灯篭をキリシタン灯篭と呼ぶようになったのは大正から昭和初期。キリシタン遺物研究が盛んになったころこの彫られた像がマントを着た宣教師に似ている、などからキリシタン灯篭と称するようになったそうです。別に隠れキリシタンがこれに向かって密かに祈ったなどという事実はないそうです。
秋月(福岡県)の博物館でも見ましたが、そこにあったキリシタン灯篭はキリシタン(コスメ興膳)の屋敷からでたものではあったそうですが。
とりあえず、像を確認できてやれやれ。少し憑き物が落ちた気もしています。これからはキリシタン灯篭と呼ばずに織部灯篭で通そうかしら、と考えています。

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巴の庭

今回は雨のせいか逆に影のない写真が撮れました。それにしてもびっくり。剪定されたのか、葉が落ちているからなのか、去年の10月に比べるとスカスカ!という印象です。造りはわかりやすいです。 

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光悦によって造られたとされる「巴の庭」は、室町時代の書院風枯山水の影響と安土桃山時代の芽生えを感じる名庭です。昭和47年に修復され、昭和61年に国指定名勝となりました。
「巴の庭」は書院の東側から南へ曲がる鍵形で、広さはおよそ200坪におよびます。三箇所の築山で巴紋を表現することから「三巴の庭」と呼ばれますが、巴の形は経年により解りづらくなっています。また、東南隅に石組の枯瀧が配され、縦縞紋様の青石によって流れ落ちる水を表現しています。いっぽう書院の縁側前には、半円を2つ組み合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池が配置され、「日」「蓮」を表現しています。(お寺のhome pageから)

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巴の築山③ これが最も巴がはっきりしています。

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巴の築山②

これは上から見ないと巴がわかりにくいと思います。

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巴の築山① 多分、右の木まで入るのだと思うのですが、どうでしょう?

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スイレンではなくあやめ?木のすぐ奥の石がすてきです。

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このお庭の景としては枯れ滝が気になります。
奥の筋のある石で滝を表し栗石で流れ、その前の縦に白い筋のある石で流れ落ちる様子を表しているそうです。

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手前には縁先手水鉢、はっきりしませんが一番奥に光悦垣が見えています。

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もう12:10過ぎになりました。受付にもどってタクシーの電話番号をお聞きすると電話をかけてくださいました。 

待っている間に写したようです。この光悦垣、去年はなかったような気がします。

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タクシーで12:30少し前にホテルに戻りました。娘もすぐきました。さくらちゃんも窓から顔をのぞかせていました。
ランチ以後は次回にします。 

2023年4月11日 (火)

京都 4日目ー1 妙蓮寺

3月23日(木)
予報では今日は一日雨です。行くのは近くの妙蓮寺、本法寺だけにとどめてお部屋でのんびり過ごすつもりです。大阪に住む娘が予定をきいてきたので「昼からはホテル」と答えておきました。
いずれのお寺も開くのは10時です。

7:20頃1階におりました。
今日の朝食は昨日の夜と同じテラスレストラン・フェリエにしました。
ビュッフェで美味しそうなものが沢山。でもさすがの私もここで写真を撮るのははばかられました。

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温かいもの、ポテトリヨネーズとか美味しそうでしたが、おなかにもたれそうでやめました。

今日の予定はタイトでないのでお部屋に戻って少しのんびり。どんよりとした空。大文字焼の「大」の字が見えています。

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ちなみに昨日、16:00前にお部屋から眺めた景色。中央より少し左にみえているのが比叡山です。
右手、山の手前の緑は京都御苑です。

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雨も本降りではないのでそろそろ出かけましょう。

9:30頃 お部屋を出ました。
中立売のバス停から堀川寺ノ内までのバスは2系統使えてさほど待つことはありません。4駅4分です。
バス停から少し戻るようにして寺之内通りに入ると数分で妙蓮寺です。

妙蓮寺 (10:04~11:10)
日蓮上人の弟子、日朗上人の弟,日像商人によって1294年に創建。
たびたび法難にあい衰退していたが、1420年ごろ再興。その後皇室、足利将軍義尚などの参詣も多くなりました。
1587年、豊臣秀吉の聚楽第造営により現在地に移転。

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山門 1818年禁裏より拝領し建立。両袖番所付き山門。
山門は薬医門と呼ばれ、通常前側2本、後ろ側2本の4本の柱で屋根を支えるのですが、薬医門は屋根の中心が棟の中央に位置せずに、やや前方にきます。そのため、前方の柱が太く加重を支える構造になります。
妙蓮寺の薬医門は2丈6尺(約8m60cm)の大きな門です。(以下、茶色字はお寺のhome pageからコピぺしたものです)
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鐘楼 1617年建立、全国的に数が少ない本格的な袴腰型鐘楼

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寺務所前にしつらえられた枯山水庭園「妙浄の庭」は昭和になって作られたものです。
向こうに見える塀は筋塀。五本線が入っています。皇族や摂家が入寺したわけではないのですが、特に許されたそうで、格式の高さを表しています。

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後で渡り廊下からみたところ。

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作庭した会社のホームページから拝借。(上からなので全体の様子が分かります)

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佐渡に流罪になった日蓮が荒れる日本海で水面にお題目を書いたという言い伝えから石組みは波を表現するそうです。

さて中に入ると、係の女性が忙しそうにかけよってきてお部屋に案内「ここで案内のビデオを見ていてください」と10分ばかりお寺の来歴や寺宝などの紹介ビデオを見ることになりました。
見終わったころ、先ほどの女性がやってきて、今日は一人だから、と電話片手に説明を始められました。かかりの人が二人のときはいいけれど、一人の日は蔵を開けて等伯の絵をみせることができないそうなのです。お忙しいらしく猛烈な早口で話されます。明日から呉服の展示会(というより創作和服の展覧会のようでしたが)その準備の人たちがいました。お庭ではなく現在の襖絵についての説明をしてくださりながらお部屋を回りました。

等伯の絵(等伯だけでないらしく、長谷川派ということですが)は蔵にしまわれていますが、かわりに幸野豊一の襖絵がありました。

鉾杉図(京都観光Naviというぺージから拝借しました)観たいです!

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幸野豊一(1844~1895)丸山派の影響を受けた画家です。教育者としても有名で弟子に竹内栖鳳などがいます。

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奥書院4部屋に「春の野」12面、「夏の池」8面、「秋の山」6面、「冬の川」8面が描かれているのをみせていただきました。

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光琳のメトロポリタン所蔵「八橋図屏風」に似ています。(10年くらい前にお里帰りして根津美術館蔵のものと一緒に展示されているのを観ました)

全体的にやさしい感じのする絵で私は好きでした。説明を聞いているうちに娘から電話で12時半ごろホテルに着く、と言ってきました。まだお庭をみてないのに、、、。女性は今度はお花についての説明。
妙蓮寺椿
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室町時代、連歌師として有名な宗祇(1421~1502)が、妙蓮寺椿の一枝を写生し、「余の花は みな末寺なり 妙蓮寺」と賛した掛け軸の写しが、妙蓮寺記なるものにのせられているそうです。妙蓮寺椿の名称は500年以上の歴史をもつものですが火事で焼け、寺務所前の木が二代目だそうですが、写真撮り忘れ。これは中庭にあった木です。

御会式桜
御会式(10月13日の日蓮大聖人御入滅の日)前後から咲き始め、年をまたいで、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜です。 

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等伯の絵については「明日午後3時半ごろ○○芸術大学の学生35人ほどにみせることになっているけれど、あと二人ふえても大丈夫だから300円でお見せしますよ」とおっしゃってくださいました。明日の予定を早めにきりあげて、とも思いましたが大勢の方と一緒では落ち着かないのでご遠慮することになりそうです。

後はご自由にとひきあげられたのであちこち場所を変えて「十六羅漢石庭」を見せていただきました。

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桂離宮の造営を指図した妙蓮寺の僧 玉淵坊日首の作庭。
中央の青石は、臥牛石といい、豊臣秀吉公によって伏見城から移された名石である。
火災による損傷が激しかったが、近年に至って造園当時の姿に復元された。
白砂は、宇宙を現し、浮かぶ石は、青石が永遠の仏陀(久遠の本仏)で、他の石は、真理に呼応する地涌の菩薩を現している。
お互いが感応道交している姿を波紋で表現している。
十六羅漢石庭 は 法華曼荼羅ほっけまんだらの世界観を表していた!
中央の青石は、四国産と言われているが、伏見城から移築したものと伝えられている。
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臥牛石、姿がいいです!よくこういう石をみつけるものですね。

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やはり臥牛石は存在感があります。

中庭

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実はこの中庭は椿を見せるのが目的で案内してくださったところです。お庭もいいのに、と思いながら撮った一枚で隅々まで撮れていません。帰りの時間を考えて、もう一度寄ることにしなかったことが悔やまれます。

帰りに説明してくださった女性に「これからどこへ?」ときかれたので「本法寺」と答えますと「ああ、涅槃図ですね。実物は全然色が違いますよ」と言われました。本法寺も同じ日蓮宗のせいか好意的で、京都市内日蓮宗・十六寺のマップをくださいました。

どこでも帰って写真を整理しながらなぜここをちゃんと見ておかなかったのか、と残念に思う所があります。一回ではなかなかきちんと見られません。妙蓮寺も是非とも再度挑戦したいものです。

雨はかなり降ってきました。次の予定の本法寺までは10分足らず、黙々と急ぎ足で行きました。
本法寺は次回に

2023年4月 9日 (日)

京都 3日目ー3 地蔵院 桂春院(妙心寺)

10月22日
北野八幡宮から地蔵院は歩いてもさほどではないのですが、ともかく私の体力温存ということでタクシーで行きました。今日は足はなんともないのですが。

しばらく前に葉室麟の小説『散り椿』を読みました。この表紙は速水御舟の「名樹散椿」ですが、御舟はこの地蔵院の椿を見て描いたそうです。絵は山種美術館が所蔵しています。機会があれば観たいです。(五月末から小林古径・速水御舟展が開かれますが、その出品目録にないのです)

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その小説にこの地蔵院が出てくるのです。ある事件で国を出なければならなくなった夫婦がこの地蔵院に住み、寺の散り椿の木を見ながら故郷の家の庭の散り椿を想う場面があるのです。いつか春先に京都に行って地蔵院の散り椿が見たいものだと思っていました。
結婚してからはずっとマンション暮らしですが、実家に椿の木はありました。どこの家にも普通にある木で特に気にとめたこともなかたのですが、今回の旅は椿が目につく旅になりました。 

地蔵院(12:44~13:06)
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上の立て札にあるように、地蔵院の初代・散り椿は1592年(天正20年)の文禄の役の際に加藤清正が朝鮮の蔚山城から持ちかえったものを秀吉がこの寺に贈った木です。しかしその木は1983年(昭和58年)に樹齢400年で枯れました。2代目・散り椿は樹齢約120年です。

門からもう散り椿が見えています。

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ここは拝観料などは取りません。入口の張り紙に「お寺はお参りをするところ、まず合掌」とありました。それでお賽銭はしっかり弾みました。

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椿寺だより (exblog.jp) 椿の開花の様子はこちらのブログで見られます。

散り椿は満開。

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見事ですが、五色ではない?

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違う種類の椿も色々植えられていました。

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どなただか分かりませんが、好みです。

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キリシタンの墓をみるために裏の墓地の方に行きました。

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京都市内で残るキリシタン墓碑は博物館などに移されていて本来あった場所で見られるのはここだけだそうです。このお寺では、くりぬいて手水鉢として使っていたのです。

こういうかまぼこ型のキリシタン墓碑は先年、天草で見たことがあります。

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少し、形が違うようです。こちらの方がかまぼこ型。このタイプは全国で4基しか発見されていないと、説明書きにありました。

少し奥に進むと 中庭散り椿
こちらの方が若い木ですが、五色です。

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一応見ましたので、妙心寺に向かうことにします。 

お寺を出てすぐ横、西大路通のバス停から市営26番で4分。妙心寺北門前でおりて、来た道を少し戻ると桂春院入り口。

桂春院 (13:27~14:21)

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桂春院は1337年創設の妙心寺の塔頭の一つで、1598年織田信長の次男、津田秀則威より見性院として創建。秀則没後、美濃の豪族、石河壱岐守源貞政が亡父の追善供養のため、方丈、庫裏、書院、茶室などの建物を完備し、両親の法名からそれぞれ一字、桂と春をとって桂春院と名を改めました。

小堀遠州の弟子、玉淵坊作庭の説があるお庭が有名です(国の史跡名勝庭園に指定されています)。

塔頭を訪ねるってお寺に行くというよりどこかのお宅に伺うようで抹香臭くなくていいです。

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お庭は修行に入って悟りを開くまでを表わしているそうです。

無人の入り口で声をかけると女性が出ていらして拝観料を受けとられるとすぐ引っ込まれてしまい、二人きりでした。途中でお抹茶をいただきたかったのに、と思ったのですが、気配全くなしで、頂かずじまいでした。

入ってすぐ庫裏と本堂の間のお庭が「清浄の庭

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井戸の横に枯滝石組が組まれ、花頭窓の下へと流れていきます。残念ながら枯滝石組みは木の影になってしまいました。

(以下、茶色の文字は寺のホームページなどからの引用であることを示しています)
方丈北側に位置する坪庭。石組みの滝の響き、白砂の渓流の音の表現を眺めて身を清める枯山水のお庭です

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流れは花頭窓の下をくぐり「侘びの庭」につながります。

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かぎ型になっています。

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書院から既白庵へ通じる露地庭。内露地と外露地に分かれており、巧みに作られた静寂の侘びの空間で心を整えます
向こうに見える門は茶室、既白庵(非公開)への梅軒門

木の根元には三尊石風に組まれた石。

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室内カメラ禁止のサインはなかったので撮りました。

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思惟の庭 細長いお庭で一目で見渡せるような写真が撮れていません。おまけにハレーションを起こして見にくいです。
方丈の東側の左右の築山に、点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石にみたてて、さながら深山幽谷、仙境の地の中で坐禅を組み思いに耽ります。

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通りすがりに眺める程度で次へ

真如の庭
方丈南側の崖をつつじの大刈込で蔽い、その向こうは生いしげる楓の樹木におおわれ、一面に杉苔の美しい中に、小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を表現しています。
高低差をいかしているといえばいいのでしょうか。この帯状のつつじがとても印象的です。

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狩野山雪 金碧松三日月図

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ここでサンダルをお借りして(私には大きすぎてとても歩き難かったです)お庭に出ました。

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お庭に出る、といっても回遊式庭園を楽しむというわけではなく裏庭を散歩するような感じでした。

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庸軒好み井戸
藤村庸軒(1613~99)は千家の茶の湯を極め、宗旦門下の四天王の一人。また漢学もおさめ、詩文をよくした人物。
京都の呉服商で非常に裕福だったそうです。

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三尊石もありました。

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これ↓なども石は意図的に組まれている気がするのですが。説明がなので意味が分かりません。三尊石だって、どなたかに指摘されなければ気がつきにくいものですから。

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奥はお茶室があるようで行き止まりでした。
もどって、ふと「侘びの庭」をみると、どなたか、お薄をいただかれたあとが!

そういえば男性の影を見たような。でもまた二人だけでした。出るとき「ありがとうございました」と声をかけると「どうも、、」とかの声がしただけでした。

14:20過ぎにここを出て妙心寺北門前のバス停へ
一つ一つの場所にかける時間を多めに見積もっていたようで、まだもう一か所くらいまわれそうですが、ホテルに戻ることにしました。

14:40 市営10番バスで北野白梅町へ、降りてすぐ横のバス停に2、3分できた50番バスに乗りました。10番でそのまま行って府庁前から歩くということも考えられるのですが、10番で堀川中立売まで行く方が歩きが短くて済むのです。

乗っているときにスマホでWBCの結果をチェック。日本優勝です!
主人は大喜び、バスを降りるとコンビニにビールを買いに行きました。

15:30にはホテルに着いて主人はさっそくビールを飲みながらテレビのチャンネルをあちこち回して何度も何度も最後のところを見ていました。
私はカウチで本を読みながらうとうと。 

夕食の場所はいろいろ行ってみたいレストランはあったのですが、折角ホテル内にレストランがあるので、外に出るのはやめました。

今晩は洋食にしてテラスレストラン・フェリエへ

18:00~19:35

ともかく分量がいただけないので、前菜、デザートはビュッフェから、メインだけ選べる、というコースにしました。

飲み物はこの季節ですから、と桜シャンパンをすすめられたので私はそれにして、主人は白。

ビュッフェだとなんだか朝食みたい、でもおいしかったです。

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ここで全国旅行割のクーポンを使うことが出来ました。ホテル付けにするとだめですが、レストランで支払うのなら使えるのです。ブライトンは紙クーポンにしていただけましたが、昨日のホテルは電子クーポンのみ。とてもやっかいでしたが、昨日のうちにすぐ使えるよう設定しておいたので簡単に利用できて大助かりでした。 

通路に置かれていたMacintoshの椅子

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お部屋にもどって、 
テレビでWBCの決勝戦再放送を第一回からやっていたので、主人はずっとそれを見ていました。私はお風呂。

今日は早めにひきあげたせいか 12164歩

2023年4月 7日 (金)

京都 3日目ー2 北野天満宮

3月22日(水)
11:09 上賀茂神社横のバス停発、46番バスで22分、千本今出川へ。ここから天満宮は歩けない距離ではないのですが、体力温存のため、バス利用。直進して信号を渡って右へ、今出川通りの千本今出川バス停から北野天満宮前まで2駅、2分です。

ここでお昼にします。バス停すぐ横のお店は長蛇の列。ところが予定していた一の鳥居近くのお店がなんと定休日でした。道理であのお店の前が長蛇の列だったわけです。

とりあえず少しだけでもおなかに入れたくて、横の北野プリンというお店に入りました。店内に三人がけくらいのベンチがあります。そこに座らせていただいて私はほうじ茶プリン、主人は抹茶プリンをいただきました。普通のプリンよりおいしかったです。甘いものは元気が出ます。結局、今日の昼はこれだけでした。

11:52 一の鳥居
観光開始です(お参り、と書けないところが、どうも、、、)。

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境内図

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北野天満宮

菅原道真が藤原時平の讒言により大宰府に左遷され、そこで903年に亡くなると、都では落雷などの災害があいついだため、これは道真の祟りだと霊を鎮めるため947年に創建されました。

あちこちに撫で牛が置かれています。道真が亡くなり、その遺体を牛車を使って運んでいましたが、途中で牛が伏せて動かなくなってしまったため、付近にあった安楽寺に埋葬されたという言い伝えからくるものです。その後、墓所には社殿が造営され、太宰府天満宮の起源となりました。といわけで北野天満宮にも臥牛がたくさんあるのです。

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ご時世ですね。ちゃんと消毒薬が置かれています。

楼門
楼門の上部に掛けられた額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。平安時代中期の学者・慶滋よししげの 保胤やすたね大江匡衡おおえのまさひらが菅公を讃えた言葉です。

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三光門(重文)
勅額「天満宮」は後西天皇の宸筆

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kikuko様からご指摘いただきました。遠目でみても竿の上部の丸みがはっきりみてとれるのに気がつきませんでしたが、織部灯篭(キリシタン灯篭)です。拡大します。
これは火口がひらいてないのでしょうか?

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ゴージャスな造りです。

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三光とは 日・月・星ですが、星はなく日・月はあるのですが、写真を取り損ねています・

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正面が拝殿(国宝)、左は西の回廊(重文)です。

酒樽が奉納されていますが。室町時代、酒蔵が使う麹は麹屋が下ろしていました。北野天満宮は麹座という麹の同業組合を結成して麹の製造や販売の独占権を持っていました。その後酒蔵と麹座の闘争があり、麹屋は没落して酒造界に組み込まれるようになるのです。そういう関係もあってか酒樽がたくさん並んで(奉納されて?)います。

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飛梅 かろうじて何輪か咲き残っていてくれました。神紋はこの提灯にあるように、星梅鉢です。同じ梅の花でも大宰府の神紋とは微妙に違います。
菅原道真が自邸の紅梅殿で育てていた梅をこの神社で代々育ててきたものだそうで、この飛梅は樹齢400年以上。各地にある飛梅伝説の原種とみられています。

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社殿(本殿、石の間、拝殿)(国宝)1607年、豊臣秀頼によって造営されました。

私は神社の造りに関心があるのですが、平面図がみつからないのでグーグルマップから
本殿と拝殿の間には石の間がある権殿造りで、拝殿の両側には楽の間が付いています。
本殿、拝殿は入母屋造りですがそのため屋根が複雑で八棟造りとも呼ばれます。

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拝殿 間口7間、奥行き3間 入母屋正面に千鳥破風、軒唐破風が付いています。
本殿 間口3間・奥行2間の平面の四方に庇が取り巻き(間口5間・奥行4間)。
間に、間口7間・奥行3間の石の間(石敷)
拝殿の両脇の楽の間 間口3間・奥行2間で入母屋屋根

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拝殿

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桃山時代らしい豪華さです。

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東側から見ています。左、楽の間  奥、拝殿  中央、石の間  右、本殿、
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石の間

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北側 後門 残念ながらよく撮れていません一番手前が唐破風です。

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グーグルマップから拝借して唐破風を横から見ました。

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殿では道真と共に、長男・菅原高視と正室・島田宣来子が祀られています。

また、本殿には上記祭神を背中合わせにして、道真の先祖とされる「アメノホヒノミコト」祖父・菅原清公、父・菅原是善が祀られていて、これらを「御后三柱(ごこうのみはしら)」といいます。参拝はここからから行います。
本殿は後ろ側が開いているのでしょうか?(あとになって、色々疑問が出てきます。予習不足です。予習で疑問に思えばここで誰かに聞くこともできたのに)

西側
こちらからも石の間がみられます。

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屋根の複雑さが見て取れます。

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摂社、末社などありますが、おもなところはこれで終わり。 あと気になるのはお土居です。

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上にあるように、お土居とは秀吉が外的の来襲に対する備える防塁と鴨川の反乱に対する堤防として都を取り巻くように築いた土塁のことです。今もその一部が残っているのですが、それがここで見られるはずなのです。
お土居の内側が洛中、外側は洛外です。

ところが

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一定期間しか開けないようです。↓こうなっているそうなのですが。

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残念。出ることにします。
絵馬所      12:25

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12:30過ぎに一の鳥居に戻り、タクシーで地蔵院に向かいました。

地蔵院、桂春院は次回に